て見ている図です、これも私が、今度の虹のような感興で描いたものでした。
 ところが、須磨の藤田彦三郎さんが、ぜひこの屏風が欲しいといわれて、早速その売約を申し込まれたのでしたが、ほんの一《い》っ時《とき》違いで、すでに弘前の某氏が売約されたために、藤田さんの手にはいらなかったのです。藤田さんは非常にこれを惜しがられて、ぜひこの屏風と同じものを揮毫してくれと、懇々私にお話しがあったのですが、私も一応はお受けはしたようなものの、どう考えましても、とてもこれほどのものが出来そうもなく、また、出来《でか》したところで、到底最初のようなものが出来るわけはありませんから、ついお話しだけで、実物は出来ずじまいになっておるようなわけです。
 ですから、二度めの感興などは、いわば拵え上げた感興ですから、もしそれによって作品が出来たところで、それはやはり拵えものに過ぎない、形あって精神のぬけたものになるに相違ありません。
 これを考えましても、私たち筆執るものには、この第一感興が、最も重要なものだと思われます。
 しかし、感興も、その感興の起った時が一とう鮮やかであり、色濃いにきまっております。時が過ぎたら、それはやはり鮮明さを欠いて、薄らいでゆくのは、ちょうど、虹のようなものでしょう。
 この感興をいなさない用意もまた、作家としては肝要なことと考えます。



底本:「青眉抄・青眉抄拾遺」講談社
   1976(昭和51)年11月10日初版発行
   1977(昭和52)年5月31日第2刷
初出:「大毎美術 第十一巻第一号」
   1932(昭和7)年1月
入力:川山隆
校正:鈴木厚司
2008年5月17日作成
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