す一双の御屏風も、これに似た調子のものでして、これにも萩を描き加えました。この方の萩は秋萩でして、右片双には中年の婦人を用いました。
前に感興のことをちょっと述べましたが、私たち筆執るものには、この感興は非常に大事なことで、感興の高さ、深さの如何によって、作品の調子がきまるわけですから、そういう感興によって出来た作品は、小さなものとか、簡単なものは別として、大きなもの、力のはいったものはなかなか、二度と再び出かそうといっても、とても出来そうには思えません。
帝展は東京と、こちら(京都)で二度見ました。いろいろ婦人画も見ましたが、善悪可否は別としまして、あの濃彩にはただ驚くより外はありません。会場芸術となると、ああしないではなりますまいが、塗って塗ってぬりつぶして、その上からまた線を描き起してあるというようなことで、それがすべての作家にとって、大骨折りだと思います。
ああいうのを見ますと、この数年来、帝展に御不沙汰をしております私なども、毎年「ことしこそは」と思い、またよく人にも勧められますが、気がひけたり、画債《がさい》に追われたりして、とうとうまだ描けずにおります。
東京での帝展見物のついでに、物故作家の遺作展を見てまいりましたが、婦女風俗としての絵は殆どなかったと思います。
中で、私の印象に強くのこっているのは、なんといっても、橋本雅邦先生の水墨で出来た天井絵《てんじょうえ》の龍です。とても凄じい筆勢のもので、非凡のものでした。あれを見ても雅邦という方の尋常人でなかったことがうなずかれます。
この天井絵は、べったり置かれたもので、それになかなか大きいものですから、これを見るのに、立っていては見渡しがつかないので、四方に段々を拵えて、看者はこれに上って下に見おろすようになっていました。
私もこの段々の上に立って見たのですが、実際恐ろしいほどの出来ばえのものです。
雅邦先生も、これを描く時には、必ずや亢奮的感興といったような気持で、描かれたものに違いありません。またそうでないと、あれだけのものは出来ないでしょう。
高い、深い感興によって描いたものは、なかなか二つとは出来かねるものだと前に述べました。これについて一つの話があるのです。
私は、かつて文展に出した「月蝕の宵」というのは、やはり屏風一双に描いたもので、女たちが、月蝕の影を鏡に映し
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