桃の木がある。
「あれが咲いている頃やあたらな」
と、花の色を心のなかに描いて、どんなによいだろうと息をのむ。
遠景の山には平山堂、観音堂などの堂がある。田圃には翼を悠々とうって丹頂の鶴が舞っている。澄み透るような静かな陽射し、このさまをみては武陵桃源という文字もありそうなことだと思うし、白髪の仙人が瑟《こと》をもった童児を従えている図も絵空ごととは思えない風景である。
またしても思うのは戦争など何処でしているということである。野鳥も打たれぬ風習に狎れ、悠々と自然のなかに溶けこんでいる。これが支那の本来の姿なら、これをわれから好んで戦禍に巻きこんでいった為政者の罪は一目でわかることである。白い紙をいたずらに墨で汚しているような勿体《もったい》なさと、押しあげて来る憤りに似たものが私にも湧いた。
楊州でお目にかかった兵隊さん達はもうすっかりお友達になってしまい、その夜は楊州に宿《とま》って明朝蘇州にゆくのだというと、どうでも部隊にとまれとまれと熱心にすすめた。部隊だって立派な設備があるから不自由はさせないと、まるで久々に来た親類の者をとめでもしているように無邪気に明るい人々であった。出来るだけ各地の部隊病院はお訪ねしたいと思っては来たが、私の場合は慰問という字はあてはまらないかも知れない。かえって兵隊さん達に親切にされる、それをよろこんでお受けする、それで兵隊さん達が満足される、それをせめてもに思って貰うほかはないといった塩梅《あんばい》である。病院でも年寄の女がはるばる来たというためでもあろうか、白衣の方々を一堂に集めて挨拶をお受けしたりした。これではまるで逆になり、勿体なくて困るので、次からは集って頂くのは遠慮することにして貰った。
蘇州にて
陳さんの家では菊の真っ盛りであった。京都でも今頃はそうだろうと思うよりも、支那にこんな立派な菊の育て方があったのかと不意をうたれた気持の方が先であった。陳さんは前の省長で私達は御馳走になったうえに御家族の方々とこの立派な菊の鉢を前にして写真を写して貰ったりした。菊はほとんど私の肩にも及ぶほどであった。
此処では妙なことから支那の田舎芝居の楽屋で写生帖をひらいたりした。
お迎えをうけた特務機関長がお話好きで、あれこれと時間を過ごしたのだが、話が丁度支那芝居のことにおち、それでは一度御覧なさいというこ
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