おしたか判らなかった。夫の没後、わざわざ遠い薩摩の国に下って、姑のために孝養のかぎりをつくした女史の高い徳こそ、次代の人となる幼い学童たちに是非味わわせてあげなければならぬと思いながら、夜もろくろく寝ずに描き上げると、わたしは、何とも言えぬ愉しい気持ちで、その絵を初音校へ贈ったのである。
 絵の出来たのは明治三十九年、あれからもう三十八年になるが、その間数多くの学童たちが、あの絵をみて、女史の孝養ぶりをうなずいていてくれていることを思うと、わたくしは今でも、あの絵を完成したときの悦びを味わうことが出来るのである。



底本:「青眉抄・青眉抄拾遺」講談社
   1976(昭和51)年11月10日初版発行
   1977(昭和52)年5月31日第2刷
入力:川山隆
校正:鈴木厚司
2008年5月10日作成
青空文庫作成ファイル:
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