ゐます。これは南座で見たのでしたが、恰度先代萩の千松になつて出て来るのを写したのでした。着付や、衣裳の紋や、さういふものも写してあつたので、いつか扇雀に逢ふたときその話をした事がありました。本人もそのころの着付や紋などを忘れてゐたとか云つて、それで思ひ出した様子でした。

   九

 松篁が嫁を貰ふころに、いよいよ式も近づくのに、母は病にをかされて、突然病床に呻吟しなければならないやうなことになりました。私は病人の世話をしなければならず、婚礼のいろいろな準備に追はれる。それに家事向の様々なことをいままで母が独りでやつてゐてくれたのでしたが、その細々した用事が一どきに私の上にふりかかつて来て、そのいそがしさは大変なものでした。さうした用事の上に更に私は絵を画かなければならなかつたのでした。婚礼の儀式が近づくころ私の手はあかぎれが切れてゐました。母のおむつのやうなものなどの洗ひ物をしなければならなかつたからです。式の近づくに従つて指のさきにはげしい痛みを感ずるので、医師にみて貰ひますとひやう瘡だと云ひます。手当がおくれると、絵を描かなければならぬ右手の人差指が切り落されるところでした。[#地付き](昭和五年)



底本:「青眉抄その後」求龍堂
   1986(昭和61)年1月15日発行
初出:「都市と藝術 198号」
   1930(昭和5)年
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。 
入力:鈴木厚司
校正:川山隆
2008年5月19日作成
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