えたのでしょう。「あの向うに見える家は、東京の大観先生の別荘です」などと教えてくれました。

 この男は土地の百姓には違いないのですが、かなり有福に暮らしていて、何も馬方などをしなくても生活してゆける身分だそうですが、生活《くらし》は有福だからとて、遊んでいるのも詰らないという気持ちから、こうして馬の口を取って、時には旅人相手に働いているのだそうでした。

 そういう人物でしたから、馬上の俄旅人の私も、お陰で退屈なしに山上の天狗の湯まで辿りつくことができました。私を乗せてくれた馬は、ひどく温順な馬でして、馬上初めての私も、何の危なげもなく悠然と乗っていたわけです。馬の背の鞍の両側に、旅人の納まる櫓《やぐら》が二つあって、片一方に一人ずつ、つまり二人が定法なのですが、乗るのが私一人なのですから、片一方にはいろいろの荷物を積んで、重さの平均をとったわけです。ゆらりゆらり揺られながら、信州の山路を登ってゆく気持ちは、なんとも言えませんでした。

     ○

 山は、白樺の林です。なんとも言えない静かな上品さがあるもので、朝の気がその上に立ち罩《こ》めて、早晨《そうしん》の日の光が射しとおしてくる景色などは、言葉では言い切れない大きな詩味を投げかけてきます。ことにその木の間からは、六月だというのに、遠い山の雪の白さなどがちらと窺くやら、遅桜がほろほろ見える気持ちなどは、恐らく微妙な一幅の絵画で、私もその画の中の一つの添景であるような感じを湧かしました。

 天狗の湯の宿は、山のほとんど巓《いただき》に近いところで、やはり湯宿があります。そこへ着くと、とにかく寒いので私は早速薄綿のはいったドテラを借りまして、まず、座敷のまん中にごろりと横になり、そして肘枕です。山の中の一軒宿ですから、一向気がおけないのでした。

 横になっていますと、小鳥などが、山の中らしい声で啼いています。言い知れない快よい爽やかさです。松篁達は、途中写生をしながら登って、暫くして着きました。

 旅に出て、ほんとうにこんなに悠《ゆっ》くりした気持ちになったことは稀です。設備が行き届いていなかったり、お愛想が十分でなかったりすることが厭《いや》な人は、発甫などはだめですが、そうでない人にはなかなかいい温泉地です。



底本:「青眉抄・青眉抄拾遺」講談社
   1976(昭和51)年11月10日初版発
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