の声に何気なく振り返ると、ちょうどわたくしの座席と反対側の座席に、洋装の美しい若い女が、可愛い誕生前後とおぼしい幼児を抱えて、何か言っている姿が眼にうつった。
 わたくしは、その姿を一眼みるなり、思わず、ほう……と、呟いた。その母親(おそらく二十二、三であったであろう)の洗練された美しさもさることながら、その向いに坐っている妹さんらしい人の美しさにも、
「よくも、このように揃った姉妹があったもの」
 と、内心おどろきに似たものを感じざるを得ないほどであった。
 姉妹《ふたり》とも洋装で、髪はもちろん洋髪であった。
 近頃、若い女の間に、その尊い髪に電気をあてて、わざわざ雀の巣のように、あたら髪を縮らすことが流行して、わたくしなどの目には、いささかの美的情感も催さないのであるが、この姉妹の髪の、洋髪でありながら、なんという日本美に溢れていることか……
 くしゃくしゃの電髪に懼れをなしていたわたくしであっただけに、洋髪にも、こういう日本美の型が編み出せるものかと、新しい日本美でも発見したように、わたくしはおどろきおどろき眸を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》ってしまったのである。

 この姉妹は、額のところに、少しばかりアイロンをかけて、髪を渦巻にしているほか、あとはすらりと項《うなじ》のところへ、黒髪を垂らし、髪のすそを、ふっくらと裏にまげていた。
 こういう新しい型の髪が、心ある美容師によって考案されたのであろうが、姉の顔立ちと言い、妹の顔立ちと言い、横から眺めていると、天平時代の上※[#「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1−91−26]をみている感じで、とても清楚な趣きを示しているのであった。
 色の白い、顔立ちのよく整った、この二人の姉妹は、そのまま昔の彫刻をみている思いであった。
「洋髪でも、これくらい日本美を立派に取り入れた、これくらい気品のあるものなら、自分も描いてみたいものである」
 わたくしは、そう思うと、そっと小さなスケッチ帳を取り出して、こっそり写生した。
 わたくしは、汽車の中で、現代の女性を写生しながら、心は天平時代の女人の姿を描いているのであった。

 なにごとも工夫ひとつで――むしゃむしゃの電髪も、このように「日本美」というものを根底に置いて考えれば、実に立派な美的な髪が生まれるのである。
 ひと頃のように、何でもかでも
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