行つた。鞍馬から貴船に行つた事があつたが、確か鞍馬で百姓馬や大原女を写したりしてると其頃塾に入り立ての橋本関雪さんが、僕が乗つて見せてやるさけ皆で写しとき、と言はれてその百姓馬に乗られ、馬には恁ふして乗るものやで皆覚えとき、どや色男振りは、などとテンゴ[#「テンゴ」に傍点]言ひもてそこらを乗廻してゐられた。夫れが私の写生帖に写されてゐるが、矢張り其頃から関雪さんは四角な顔してゐられた。
其頃の画学生には写生と縮図とが半分半分の勉強で、其間々に何か出品があると自分で作図しては先生に見て貰ふ習慣だつた。だから私の写生帖にも一緒くたに縮図と写生が埓もなく描込んである。私はよく博物館に通つて写し物をしたが、それは唐画の山水もあれば応挙の花鳥もあるし、決して人物ばかりと云ふ事はなかつた。明治三十年に全国絵画共進会があつて、そこで小堀鞆音さんの桜町中納言答歌図が出品された。四尺巾位の竪幅で三尺位の中納言が立つた足許にお姫様が坐つてゐる図だつたが、私の写生帖には其全図と人物の部分が二ヶ所も写してある。さうかと思ふとヨチヨチ這ひ廻つてゐる松篁《しようくわう》の幼な姿が、牛乳を飲んでるところや乳母車に乗つてるのや、いろいろあるかと思ふと七、八つ位のお河童姿のお園さん(栖鳳先生の令嬢)がいくつも写してある。
私の写生帖には私の全生涯の思ひ出が籠つてゐる。[#地付き](昭和七年)
底本:「青眉抄その後」求龍堂
1986(昭和61)年1月15日発行
初出:「絵と随筆」塔影社
1932(昭和7)年
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:鈴木厚司
校正:川山隆
2008年5月19日作成
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