写しました。若さと熱心さがさせることではありますが、朝から坐り込んで晩までお昼の御飯を抜いて描きつづけたことも度々あります。
売立の会のことですから、都合によっては掛け換えられないでもありませぬし、もし昼飯《ひる》に立ったりしていて掛け換わりでもしては写し損ねますので、坐り込んでしまったわけなのでしたが、その頃は今のようにそうした場所で縮図などしているような人もありませず、それに何処のなんという女子《おなご》やら、誰も知った人もない名もない頃の私なのですから「アッ又来やはった」などと小僧さんや丁稚《でっち》さん達が、わざと私に聞こえよがしの蔭口を利くことなども度々でした。
一度はこんなこともありました。前後も忘れて一生懸命に縮図をして居りますと「あ、もしもし、そこにそんなにべったり坐り込んで居られますと、お客さんが見に来られるのに邪魔になりますがなア」というようなことをむきつけ[#「むきつけ」に傍点]に番頭さんに言われました。その時には思わず涙が落ちました。私にしましても、最初から商売の邪魔になってはならぬと思いますから、遠慮しいしい小さくなって写しているのです。それをそう意地悪く面と向って言われては口惜し涙も落ちます。私はその日|良則《よしのり》の生菓子を持たせて使の者に手紙を添えて先方へやりまして、女子の身で絵の修業の熱心なあまりとは申しながら、端無《はしたな》い出過ぎたお邪魔をしまして済みませぬでした、と謝まってやりますと、改まって挨拶されて見ますと、先方も気づつなくなりましたものか、葉書を寄こしたりしまして、その次からは「おいでやす。さアどうぞ」などとお愛想を言ってくれられたりするほどにもなりまして、それがまた、かえって気の毒になったこともありました。
博物館
博物館は私にとりまして何より大切な勉強場でございました。
一年の計は元日にあり、ということですから今年は一つ元日から勉強してやりましょう、というような感激に満ちた気持ちで、お屠蘇《とそ》を祝うと朝から博物館に通ったこともありました。近い頃ですと、お正月五日間ぐらい博物館もお休みでございますが、その頃は正月もお休みなしで、よくその年の干支《えと》の絵を並べられたりしてありました。私は今でも忘れませぬが、ある年の元日のこと、大元気で起きて見ますと、一夜のうちに大雪になっていまし
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