大人たちは一銭、二銭のほどこしものをしてやる義務を感じる。別に老人が乞うたわけではない、いわばこの「砂書き老人」の当然の報酬であったのだろう。
花を描いても天狗を描いても富士山を描いても馬や犬を描いても、それに使われる色とりどりの砂は一粒も他の色砂と交ることもなく整然と彼の老爺の右の手からこぼれるのである。あたかもすでに形あるものの上をなぞらえるがごとく、極めて淡々と無造作に描きわけてゆく。
どのように練習しても、ああはうまくかけるものではない。天稟の技というのはああいうのをさして言うのであろう。またそれは、あの貧しい老爺だけがのぞき得た至妙至極の芸術の世界であったのかも知れない。
あの老人は大地へ描きすててしまったからその絵はあとに残ることがなかったのであるが、あれほどの技がもし絵画のほうへ現わせていたら恐らくあの老人は名のある画家のひとりともなっていたであろうに。
しかしまた思うのである。あの「砂書き老人」の砂絵は、すぐに消えてしまうところに一瞬の芸術境があり、後世に残されなかったところにあの老人の崇高な精神が美しくひとびとの心に残されたのであると。
その後あ
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