ありました。
 この様に口惜しいことやら、悲しい事やら幾つあったか知れません。幾つも幾つも、そういう難関を突破して来て、今すべてが、打って一丸となって、それが悉《ことごと》く芸術に浄化せられて筆を持てば、真に念頭に塵一つとどめず絵三昧の境地に入れます。
 人間の一代は、実に舟に乗って旅をするようで、航程には雨もあれば風もあります。その難関を突き抜けて行くうちに次第に強く生きる力を与えられます。他人を頼りにしては駄目です。自分の救い手は矢張自分です。立派な人間でないと芸術は生まれません。人格がその人の芸術を定めるのです。筆の上に自分の心を描いているので、人前の良い、派手な事ばかり目掛けでも、心に真実がなければ駄目です。又人間は絶えず反省する事が大事で、そこに進歩があります。
 私の母は昭和九年の二月、八十六歳の高齢で歿しました。今では、門人が写してくれた大きな写真を仏間にかけて、旅に出るときなど、「行って参ります」と言って、帰って来ると「お母さん只今」と真先に挨拶をします。
 門閥も背景もない私が真の独立独歩で芸術に精進することが出来ましたのは、全く母が葉茶の商売を盛り立てて収入の範囲で
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