自然私もそれを読みました。
又綴り本を積んで家をこしらえ、作ったおやまさんを立てかけてお飾りをするのが唯一の遊びごとでした。
ところが父の始めました葉茶屋の商売を引きつづき背負って立とうとした母に、親類から種々の忠言がありました。然し母は父の始めた商売ではあり、石にかじりついても親子三人でやってゆきますと言って八つになる姉と三人で敢然と立ち上りました。
小さい時分から絵を描くのが一番の楽しみでした。四条御幸町の角に吉勘と言って錦絵の木版画や白描を売っている店がありましたが、使い走りをした時などここで絵を買《こ》うて貰うのが一番好きなお駄賃でした。
また四条通りに出る夜店をひやかして、古絵本を見つけると、母の腕にぶら下ってせがみ財布の紐をほどいて貰ったこともありました。私は子供の時分から人の髪を結う事が好きで近所の子供を呼んできては、お煙草盆や、ひっつけ髪や、ひっくくりの雀びんやらを結うて、つまり子供達をモデルに髪形の研究をしていました。
私が絵を習い始めた頃は、女が絵を習うと言うのは一般に不思議がる頃でした。十四の年に親類の承知しない画学校へ入学さして貰ったのです。
私の師
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