なるためでなくて名を挙げるためだという風に見え過ぎます。毎年のことですが帝展前になりますと草稿を持って何人も何人もの先生の処に見て貰って廻わる若い人の話を聞きますが、これなどそっくりそのまま現代式な焦燥な心をあらわしてると思います。それが立派な先生の主宰する塾に弟子入りしてる人でそうなのです。師匠と頼んで弟子入りして置きながらそうした振舞いをするということは、いわば師匠をないがしろにしたことにもなるわけです。
 一体今日の師弟の関係からしてあまりに功利的に過ぎるというものです。社会的に名を成すために便宜だとか、帝展に入選するために都合がいいとか、まるでそういう道具に師匠をつかってる人があると言ってもいい程、それほど師弟の関係は浮薄な気がします。一生涯画を描いて過ごそうと覚悟して画家を志し、そうした生涯の仕事の指導者と頼むに足る師匠として、この人ならばと目指して弟子入りした人であるとするならば、その師匠こそこの世で唯一人の頼む人で他には比較されるべき人さえない筈なのです。
 西山翠嶂さんの容子や言葉扱いが、ふとするとそっくり栖鳳先生に似通ったもののあるのを感じさせられますが、師弟の間柄はそうあってこそ然るべきだという気がします。大分昔の話ですが栖鳳先生のお池のお宅がまだ改築されない頃、一週間に一度ずつ先生はお午頃から高島屋へ行かれまして夕頃か夜に入って帰られるのです。その頃塾にいて耳を澄ましていますとカランコロンと足駄の音がします。引き擦るでもなし踏み締めるでもなし、カランコロンと石だたみの上で鳴る足駄の音で、先生の歩き方には一種独特の調子がありました。跫音を聞いただけで塾生達は皆先生のお帰りと知った程でした。ところがもう先刻先生はお帰りになった筈だと思うのに又してもカランコロンと跫音がして、それが又先生の跫音に何とも言えずよく似てるのです。オヤ、あの跫音は? とうっかりしてると先生の跫音と間違えさせられることがある程なのです。それは外出先きから帰って来られた塾の人の跫音だったのです。塾の先輩の誰彼となると、それこそ跫音まで先生に似てる、ということを感じたことがありますが、跫音が似てると申しますのは歩きつきが似てるからで、引き擦るでもない踏み締めるでもない栖鳳先生独特の歩きつきが、いつの間にか弟子に感染してるのです。歩きつきばかりでなく、坐られた時肩の落ちた容子だとか、片腕組んで一方の煙草を持った手を口の辺に持って行かれる容子とか、そうした何でもないふとした容子などにまで、栖鳳先生の御容子が古いお弟子になると感染している方があります。
 これでこそほんとだと思います。何も彼もが師匠は豪《えら》いという気がしてる弟子の目には、師匠の行住座臥すべてが憧れの的であるのは当然だと思います。絵は勿論のことです。ですから弟子が師匠の画風に似るというのは当り前のことで、何も彼も師匠の真似をして何十年かの後師匠の癖がすっかり飲み込めた上で自分が出て来るなら出したがいいと思います。そうして出た自分だとほんとの自分だと思います。それが今時の若い画家ですと腕も頭もちっとも出来ていない上から自分を出そうとばかりします。そうした小さな自分を出して何になれるのでしょう。絵はいかに個性が尊ばれねばならないとしましても、腕を伴った個性でなければ何の役にも立たないと思います。腕の伴わない自分の出た絵は片輪の絵とでもいうべきでしょう。こうした絵の多いこの頃は若い人があまり早く効果を挙げようとして、腕も出来ないのに自分を出し過ぎるからだと思います。



底本:「青眉抄・青眉抄拾遺」講談社
   1976(昭和51)年11月10日初版発行
   1977(昭和52)年5月31日第2刷
初出:「塔影」
   1933(昭和8)年12月
入力:川山隆
校正:鈴木厚司
2008年7月14日作成
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