、片腕組んで一方の煙草を持った手を口の辺に持って行かれる容子とか、そうした何でもないふとした容子などにまで、栖鳳先生の御容子が古いお弟子になると感染している方があります。
 これでこそほんとだと思います。何も彼もが師匠は豪《えら》いという気がしてる弟子の目には、師匠の行住座臥すべてが憧れの的であるのは当然だと思います。絵は勿論のことです。ですから弟子が師匠の画風に似るというのは当り前のことで、何も彼も師匠の真似をして何十年かの後師匠の癖がすっかり飲み込めた上で自分が出て来るなら出したがいいと思います。そうして出た自分だとほんとの自分だと思います。それが今時の若い画家ですと腕も頭もちっとも出来ていない上から自分を出そうとばかりします。そうした小さな自分を出して何になれるのでしょう。絵はいかに個性が尊ばれねばならないとしましても、腕を伴った個性でなければ何の役にも立たないと思います。腕の伴わない自分の出た絵は片輪の絵とでもいうべきでしょう。こうした絵の多いこの頃は若い人があまり早く効果を挙げようとして、腕も出来ないのに自分を出し過ぎるからだと思います。



底本:「青眉抄・青眉抄拾遺」講談社
   1976(昭和51)年11月10日初版発行
   1977(昭和52)年5月31日第2刷
初出:「塔影」
   1933(昭和8)年12月
入力:川山隆
校正:鈴木厚司
2008年7月14日作成
青空文庫作成ファイル:
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