延長をし、夕方お風呂を浴びてぐっすり寝る。すると十二時前に決まって目がさめる。それから絵筆をとって翌日の午後五、六時ごろまで書きつづけるのである。
 一週間頑張って招待日にはどうにか運送のほうが間にあったので嬉しかった。
「夕暮」という作品が夜通しの一週間のほとんど夜分に出来上ったということも何かの暗示のように思えるのである。
 医者が来てこんどは怒ったような顔をして言った。
「あなたは倒れるぎりぎりまで、やるさかいに失敗するのです。今にひどい目にあいますよ」

 無理のむくいを恐れながらも私はいまだに興がのり出すと夜中にまで仕事が延長しそうになるのである。
 警戒々々……そんな時には医者の言葉を守ってすぐに筆を擱《お》く。そのかわりあくる朝は誰よりも早く起きて仕事にかかるのである。

 一般には画は夜描きにくいものであると言われているが、しかし画を夜分描くことは少しも不思議ではない。
 世間の寝静まったころ、芸術三昧の境にひたっている幸福は何ものにも代えられない尊いものである。

 ときどき思うことがある。
 これだけの無理、これだけの意気地が私をここまで引っ張って来てくれたのであろう……と。
 私は無理をゆるされて来たことについて、誰にともなくそのことを感謝することがある。

 私の母も人一倍丈夫な体をもっていた。病気というものを知らなかったようである。
 若くから働く必要のあった母は、私同様に病気にかまってはいられなかったのであろう。
 働く必要が母に健康をあたえてくれたとでも言うのであろう。

 母は八十歳の高齢ではじめて床に就き医者をよんだのであるが、その時、脈らしい脈をとって貰ったのはこれが始めてだ、と私にもらしていた。
 母は八十六歳でこの世に訣れを告げたのだが、私もまだまだ仕事が沢山あるので寿命がなんぼあっても足らない思いがする。私は今考えている数十点の絵は全部纒めねばならぬからである。

 私はあまり年齢のことは考えぬ、これからまだまだ多方面にわたって研究せねばならぬことがかずかずある。
 生命は惜しくはないが描かねばならぬ数十点の大作を完成させる必要上、私はどうしても長寿をかさねてこの棲霞軒に籠城する覚悟でいる。生きかわり死にかわり何代も何代も芸術家に生まれ来て今生で研究の出来なかったものをうんと研究する、こんな夢さえもっているのである。
 ねが
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