て来るお弓の結っている髪なのですが、そんな風な髪に銀で作ったすすき[#「すすき」に傍点]のかんざしやら、びいどろの中に水が入ってる涼しいのなどを※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]したりしてぐるぐるぐるぐる町内を練り歩いたものでした。何せその頃は明治もはじめの頃ですよって自動車だのバスだののややこしいものも通らしまへんよって、町の真中をずっと[#「ずっと」は底本では「ずつと」]長く連なって歌って歩けたのでございました。
男の子は男の子で、
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※[#歌記号、1−3−28]よいさっさにゆきましょか
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と、女の子よりはちょっと大きめの提灯の、これは白いのに同じように定紋つけたのを手に手に持ちながら、
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※[#歌記号、1−3−28]よいさっさ、よいさっさ
江戸から京まではえらいね
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そんな風にうたって男の子同志で町内を練り歩いたものでした。
その頃にはまた、おしろんぼ[#「おしろんぼ」に傍点]などという遊びもありまして、これも町内で子供達が自由勝手にはねまわって遊んでました。その遊びにつくうたは、
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※[#歌記号、1−3−28]ざとのぼーえ
とさんさ、さかずきさしましょう
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というのです。昔は道筋はすべて子供の運動場でしたが、今の子供達はもう、うっかり外では遊べなくなりました。大通りから入った横丁でも自転車やら自動車やら何やと往来が劇《はげ》しゅうなるばかりなので、それだけは昔の子供の方が幸福だったということが出来るでしょう。
ひといきは夏が好きでした。陽気で明るうてよろしのどすが、今ではあまり暑いと少々身にこたえて弱ります。
なんといっても気がしまっていいのは十月頃、恰度、きんもくせいが匂うような頃は一番頭がすっきりして身も軽うなる心地がすることです。(談)
底本:「青眉抄・青眉抄拾遺」講談社
1976(昭和51)年11月10日初版発行
1977(昭和52)年5月31日第2刷
初出:「塔影」
1939(昭和14)年8月号
入力:川山隆
校正:鈴木厚司
2008年10月23日作成
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