も知れないのです。
小松中納言として有名でした、のちの加賀百万石の大守前田利常公が、ある日近習の者の話をきいていられました。
近習のひとりの某が言いました。
「何々殿の息子の某はなかなかの才物で、年が若いに似ず四十歳くらいの才覚をもっている。あれは将来恐るべき仁になるに違いない」
すると利常公が、
「その者は今年いくつか」
と、きかれた。十八歳にございますと件《くだん》の近習が答えると、利常公は、
「さてもさてもうつけな話かな。人はその年その年の分別才覚があってこそよきものを、十八歳にして四十歳の分別あるとは、予《よ》のとらざるところである。十八歳にして十三歳の分別しかなければ問題にしてもよきなるに、十八歳が四十歳の分別とは、さてさて困ったものじゃ」
利常公はそう言って、人間には、その時代その時代の年齢にあった力量こそ正しくもあり、人間として一番尊いものであることを近習にさとし――その十八歳の息子の取立てを断わられたという。
私はときどきそのことを憶って、
「さすがに加賀公はうまいことを申されたものである」
と、ひそかに感心するのでありました。
若い時の作品は、その年齢に適した絵であれば、それで十分に尊いものであるのです。
十五歳にして七十歳の老大家のような枯れた絵をかいたら、それこそおかしいし、そのような絵は、無価値であると言っていいのです。
私のところへも、ときどき若い頃の画の箱書が廻って参ります。
私は、そのころの時代をなつかしみながら、
「これはこれでええのや」
心の中でつぶやきながら、だまって箱に文字をかきつけています。
底本:「青眉抄・青眉抄拾遺」講談社
1976(昭和51)年11月10日発行
入力:鈴木厚司
校正:小林繁雄
2004年5月8日作成
青空文庫作成ファイル:
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