本多様は自分でここえ御出になつたのだといふ。然らば明年になつて糧米馬秣は如何にしたかと問ふたら、答へるには十万の兵が来た為に米は却つて安くなつた。これは去年から皆の人が沢山貯へて置いたからだ。且つ又上様(家康)の御仕合には、沼津の海岸は常に浪が荒くつて、糧米などを大船から陸揚げすることはむづかしいのに、この当時には丁度天気がよくつて浪も穏やかであつた為に、他国からも糧米を容易に輸入することが出来たからだ。それからといふものは、此地方では風波の平穏なのを、「上様日和」と称すると答えた。古人の意を用ゐたのは昔はこの通りだ。さて、彼の八万人を静岡へ移してから、三四日経つと沢庵漬はなくなり、四五日経つと塵紙が無くなりおれも実に狼狽したよ。



底本:「日本の名随筆 別巻95 明治」作品社
   1999(平成11)年1月25日第1刷発行
底本の親本:「亡友帖・清譚と逸話 〔復刻原本=海舟全集第十巻〕」原書房
   1968(昭和43)年4月20日
入力:ふろっぎぃ
校正:浅原庸子
2006年2月16日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http:/
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