》と言って投げ出す銀煙管《ぎんぎせる》。「は、は。この子は、なかなか、おしゃまだね。」
知識人のプライドをいたわれ! 生き、死に、すべて、プライドの故、と断じ去りて、よし。職工を見よ、農家の夕食の様を覗《のぞ》け! 着々、陽気を取り戻した。ひとり、くらきは、一万円|費《つか》って大学を出た、きみら、痩《や》せたる知識人のみ!
くたびれたら寝ころべ!
悲しかったら、うどんかけ一杯と試合はじめよ。
私は君を一度あざむきしに、君は、私を千度あざむいていた。私は、「嘘吐き」と呼ばれ、君は、「苦労人。」と呼ばれた。「うんとひどい嘘、たくさん吐くほど、嘘つきでなくなるらしいのね?」
十二、三歳の少女の話を、まじめに聞ける人、ひとりまえの男というべし。
その余は、おのれの欲するがまにまに行え。
二十八日。
「現代の英雄について。」
ヴェルレエヌ的なるものと、ランボオ的なるもの。
スウィートピイは、蘇鉄《そてつ》の真似をしたがる。鉄のサラリイマンを思う。片方は糸で修繕《しゅうぜん》した鉄ぶちの眼がねをかけ、スナップ三つあまくなった革のカバンを膝《ひざ》に乗せ、電車で、多少の猫背つかって、二日すらない顎《あご》の下のひげを手さぐり雨の巷《ちまた》を、ぼんやり見ている。なぐられて、やかれて、いまはくろがねの冷酷を内にひそめて、(断)
二十九日。
十字架のキリスト、天を仰いでいなかった。たしかに。地に満つ人の子のむれを、うらめしそうに、見おろしていた。
手の札、からりと投げ捨てて、笑えよ。
三十日。
雨の降る日は、天気が悪い。
三十一日。
(壁に。)ナポレオンの欲していたものは、全世界ではなかった。タンポポ一輪の信頼を欲していただけであった。
(壁に。)金魚も、ただ飼い放ち在るだけでは、月余の命、保たず。
(壁に。)われより後に来るもの、わが死を、最大限に利用して下さい。
一日。
実朝《さねとも》をわすれず。
伊豆の海の白く立つ浪がしら
塩の花ちる。
うごくすすき。
蜜柑《みかん》畑。
二日。
誰も来ない。たより寄こせよ。
疑心暗鬼。身も骨も、けずられ、むしられる思いでございます。
チサの葉いちまいの手土産で、いいのに。
三日。
不言実行とは、暴力のことだ。手綱《たづな》のことだ。鞭《むち》のことだ。
いい薬になりました。
四日。
「梨花《りか》一枝。」
改造十一月号所載、佐藤春夫作「芥川賞」を読み、だらしない作品と存じました。それ故に、また、類《たぐい》なく立派であると思った。真の愛情は、めくらの姿である。狂乱であり、憤怒である。更に、(断)
寝間の窓から、羅馬《ローマ》の燃上を凝視して、ネロは、黙した。一切の表情の放棄である。美妓《びぎ》の巧笑に接して、だまっていた。緑酒を捧持されて、ぼんやりしていた。かのアルプス山頂、旗焼くけむりの陰なる大敗将の沈黙を思うよ。
一噛の歯には、一噛の歯を。一杯のミルクには、一杯のミルク。(誰のせいでもない。)
「なんじを訴うる者とともに途《みち》に在るうちに、早く和解せよ。恐《おそら》くは、訴うる者なんじを審判人《さばきびと》にわたし、審判人は下役《したやく》にわたし、遂《つい》になんじは獄《ひとや》に入れられん。
誠に、なんじに告ぐ、一|厘《りん》も残りなく償わずば、其処《そこ》をいずること能《あた》わじ。」(マタイ五の二十五、六。)
晩秋騒夜、われ完璧《かんぺき》の敗北を自覚した。
一銭を笑い、一銭に殴られたにすぎぬ。
私の瞳は、汚れてなかった。
享楽のための注射、一本、求めなかった。おめん! の声のみ盛大の二、三の剣術先生を避けたにすぎぬ。「水の火よりも勁《つよ》きを知れ。キリストの嫋々《じょうじょう》の威厳をこそ学べ。」
他は、なし。
天機は、もらすべからず。
(四日、亡父命日。)
五日。
逢うことの、いま、いつとせ、早かりせば、など。
六日。
「人の世のくらし。」
女学校かな? テニスコート。ポプラ。夕陽。サンタ・マリヤ。(ハアモニカ。)
「つかれた?」
「ああ。」
これが人の世のくらし。まちがいなし。
七日。
言わんか、「死屍《しし》に鞭打つ。」言わんか、「窮鳥を圧殺す。」
八日。
かりそめの、人のなさけの身にしみて、まなこ、うるむも、老いのはじめや。
九日。
窓外、庭の黒土をばさばさ這いずりまわっている醜き秋の蝶《ちょう》を見る。並はずれて、たくましきが故に、死なず在りぬる。はかなき態には非ず。
十日。
私が悪いのです。私こそ、すみません、を言えぬ男。私のアクが、そのまま素直に私へ又はねかえって来ただけのことです。
よき師よ。
よき兄よ。
よき友よ。
よき兄嫁よ。
姉よ。
妻よ。
医師よ。
亡父も照覧。
「うちへかえりたいのです。」
柿一本の、生れ在所《ざいしょ》や、さだ九郎。
笑われて、笑われて、つよくなる。
十一日。
無才、醜貌《しゅうぼう》の確然たる自覚こそ、むっと図太い男を創る。たまもの也。(家兄ひとり、面会、対談一時間。)
十二日。
試案下書。
一、昭和十一年十月十三日より、ひとつき間、東京市板橋区M脳病院に在院。パヴィナアル中毒全治。以後は、
一、十一年十一月より十二年(二十九歳)六月末までサナトリアム生活。(病院撰定は、S先生、K様、一任。)
一、十二年七月より十三年(三十歳)十月末まで、東京より四、五時間以上かかって行き得る(来客すくなかるべき)保養地に、二十円内外の家借りて静養。(K氏、ちくらの別荘貸して下さる由、借りて住みたく思いましたが、けれども、この場所撰定も、皆様一任。)
右の如く満一箇年、きびしき摂生、左肺全快、大丈夫と、しんから自信つきしのち、東京近郊に定住。(やはり創作。厳酷の精進。)
なお、静養中の仕事は、読書と、原稿一日せいぜい二枚、限度。
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一、「朝の歌留多《かるた》。」
(昭和いろは歌留多。「日本イソップ集」の様な小説。)
一、「猶太《ゆだ》の王。」
(キリスト伝。)
[#ここで字下げ終わり]
右の二作、プランまとまっていますから、ゆっくり書いてゆくつもりです。他の雑文は、たいてい断るつもりです。
その他、来春、長編小説三部曲、「虚構の彷徨。」S氏の序文、I氏の装幀にて、出版。(試案は、所詮、笹の葉の霜。)
この日、午後一時半、退院。
[#ここから4字下げ、ゴシック体]
汝《なんじ》らの仇を愛し、汝らを責むる者のために祈れ。天にいます汝らの父の子とならん為なり。天の父はその陽を悪しき者のうえにも、善き者のうえにも昇らせ、雨を正しき者にも、正しからぬ者にも降らせ給うなり。なんじら己を愛する者を愛すとも何の報をか得べき、取税人も然《しか》するにあらずや。兄弟にのみ挨拶すとも何の勝ることかある、異邦人も然するにあらずや。然らば汝らの天の父の全きが如く、汝らもまた、全かれ。
[#ここで字下げ終わり]
底本:「太宰治全集2」ちくま文庫、筑摩書房
1988(昭和63)年9月27日第1刷発行
親本:「筑摩全集類聚版太宰治全集」筑摩書房
1975(昭和50)年6月〜1976(昭和51)年6月
入力:柴田卓治
校正:小林繁雄
1999年8月30日公開
2004年3月4日修正
青空文庫作成ファイル:
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