いい薬になりました。
四日。
「梨花《りか》一枝。」
改造十一月号所載、佐藤春夫作「芥川賞」を読み、だらしない作品と存じました。それ故に、また、類《たぐい》なく立派であると思った。真の愛情は、めくらの姿である。狂乱であり、憤怒である。更に、(断)
寝間の窓から、羅馬《ローマ》の燃上を凝視して、ネロは、黙した。一切の表情の放棄である。美妓《びぎ》の巧笑に接して、だまっていた。緑酒を捧持されて、ぼんやりしていた。かのアルプス山頂、旗焼くけむりの陰なる大敗将の沈黙を思うよ。
一噛の歯には、一噛の歯を。一杯のミルクには、一杯のミルク。(誰のせいでもない。)
「なんじを訴うる者とともに途《みち》に在るうちに、早く和解せよ。恐《おそら》くは、訴うる者なんじを審判人《さばきびと》にわたし、審判人は下役《したやく》にわたし、遂《つい》になんじは獄《ひとや》に入れられん。
誠に、なんじに告ぐ、一|厘《りん》も残りなく償わずば、其処《そこ》をいずること能《あた》わじ。」(マタイ五の二十五、六。)
晩秋騒夜、われ完璧《かんぺき》の敗北を自覚した。
一銭を笑い、一銭に殴られたにすぎぬ。
私の瞳は、汚れてなかった。
享楽のための注射、一本、求めなかった。おめん! の声のみ盛大の二、三の剣術先生を避けたにすぎぬ。「水の火よりも勁《つよ》きを知れ。キリストの嫋々《じょうじょう》の威厳をこそ学べ。」
他は、なし。
天機は、もらすべからず。
(四日、亡父命日。)
五日。
逢うことの、いま、いつとせ、早かりせば、など。
六日。
「人の世のくらし。」
女学校かな? テニスコート。ポプラ。夕陽。サンタ・マリヤ。(ハアモニカ。)
「つかれた?」
「ああ。」
これが人の世のくらし。まちがいなし。
七日。
言わんか、「死屍《しし》に鞭打つ。」言わんか、「窮鳥を圧殺す。」
八日。
かりそめの、人のなさけの身にしみて、まなこ、うるむも、老いのはじめや。
九日。
窓外、庭の黒土をばさばさ這いずりまわっている醜き秋の蝶《ちょう》を見る。並はずれて、たくましきが故に、死なず在りぬる。はかなき態には非ず。
十日。
私が悪いのです。私こそ、すみません、を言えぬ男。私のアクが、そのまま素直に私へ又はねかえって来ただけのことです。
よき師よ
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