、もう一方の少年を激怒させた。
「切る。」
「よろしい。ゆるさぬ。」決闘の約束をしてしまった。
その約束の日、由良氏は家を出ようとして、冷雨《ひさめ》びしょびしょ。内へひきかえして、傘さして出かけた。申し合せたところは、上野の山である。途中、傘なくしてまちの家の軒下に雨宿りしている冠氏の姿を認めた。冠氏は、薄紅の山茶花《さざんか》の如く寒しげに、肩を小さく窄《すぼ》め、困惑の有様であった。
「おい。」と由良氏は声を掛けた。
冠氏は、きょろとして由良氏を見つけ、にっと笑った。由良氏も、すこし頬を染めた。
「行こう。」
「うむ。」冷雨の中を、ふたり並んで歩いた。
一つの傘に、ふたり、頭を寄せて、歩いていた。そうして、さだめの地点に行きついた。
「用意は?」
「できている。」
すなわち刀を抜いて、向き合って、ふたり同時にぷっと噴き出した。切り結んで、冠氏が負けた。由良氏は、冠氏の息の根を止めたのである。
刀の血を、上野の池で洗って清めた。
「遺恨は遺恨だ。武士の意地。約束は曲げられぬ。」
その日より、人呼んで、不忍《しのばず》の池。味気ない世の中である。
ち[#「ち」はゴシック体]、畜生のかなしさ。
むかしの築城の大家は、城の設計にあたって、その城の廃墟《はいきょ》になったときの姿を、最も顧慮して図をひいた。廃墟になってから、ぐんと姿がよくなるように設計して置くのである。むかしの花火つくりの名人は、打ちあげられて、玉が空中でぽんと割れる、あの音に最も苦心を払った。花火は聞くもの。陶器は、掌に載せたときの重さが、一ばん大事である。古来、名工と言われるほどの人は、皆この重さについて、最も苦慮した。
などと、もっともらしい顔して家の者たちに教えてやると、家の者たちは、感心して聞いている。なに、みな、でたらめなのだ。そんなばからしいこと、なんの本にだって書かれてはいない。
また言う。
こいしくば、たずね来て見よいずみなる、しのだの森のうらみくずの葉。これは、誰でも知っている。牝《めす》の狐の作った歌である。うらみくずの葉というところ、やっぱり畜生の、あさましい恋情がこもっていて、はかなく、悲しいのである。底の底に、何か凄《すご》い、この世のものでない恐ろしさが感じられるのである。むかし、江戸深川の旗本の妻女が、若くして死んだ。女児ひとりをのこしていった。一夜、夫の枕もとに現われて、歌を詠《よ》んだ。闇の夜の、におい山路《やまみち》たどりゆき、かな哭《な》く声に消えまよいけり。におい山路は、冥土《めいど》に在る山の名前かも知れない。かなは、女児の名であろう。消えまよいけりは、いかにも若い女の幽霊らしく、あわれではないか。
いまひとつ、これも妖怪《ようかい》の作った歌であるが、事情は、つまびらかでない。意味も、はっきりしないのだが、やはり、この世のものでない凄惨《せいさん》さが、感じられるのである。それは、こんな歌である。わぎもこを、いとおし見れば青鷺《あおさぎ》や、言《こと》の葉なきをうらみざらまし。
そうして白状すれば、みんな私のフィクションである。フィクションの動機は、それは作者の愛情である。私は、そう信じている。サタニズムではない。
り[#「り」はゴシック体]、竜宮さまは海の底。
老憊《ろうはい》の肉体を抱き、見果てぬ夢を追い、荒涼の磯をさまようもの、白髪の浦島太郎は、やはりこの世にうようよ居る。かなぶんぶんを、バットの箱にいれて、その虫のあがく足音、かさかさというのを聞きながら目を細めて、これは私のオルゴオルだ、なんて、ずいぶん悲惨なことである。古くは、ドイツ廃帝。または、エチオピア皇帝。きのうの夕刊に依ると、スペイン大統領、アサーニア氏も、とうとう辞職してしまった。もっとも、これらの人たちは、案外のんきに、自適しているのかも知れない。桜の園を売り払っても、なあに山野には、桜の名所がたくさん在る、そいつを皆わがものと思って眺めてたのしむのさ、と、そこは豪傑たち、さっぱりしているかも知れない。けれども私は、ときどき思うことがある。宋美齢は、いったい、どうするだろう。
ぬ[#「ぬ」はゴシック体]、沼の狐火。
北国の夏の夜は、ゆかた一枚では、肌寒い感じである。当時、私は十八歳、高等学校の一年生であった。暑中休暇に、ふるさとの邑《むら》へかえって、邑のはずれのお稲荷《いなり》の沼に、毎夜、毎夜、五つ六つの狐火が燃えるという噂を聞いた。
月の無い夜、私は自転車に提灯《ちょうちん》をつけて、狐火を見に出かけた。幅《はば》一尺か、五寸くらいの心細い野道を、夏草の露を避けながら、ゆらゆら自転車に乗っていった。みちみち、きりぎりすの声うるさく、ほたるも、ばら撒《ま》かれたようにたくさん光っていた。お稲荷の鳥居をくぐり、うるしの並木路を走り抜け、私は無意味やたらに自転車の鈴を鳴らした。
沼の岸に行きついて、自転車の前輪が、ずぶずぶぬかった。私は、自転車から降りて、ほっと小さい溜息。狐火を見た。
沼の対岸、一つ、二つ、三つの赤いまるい火が、ゆらゆら並んでうかんでいた。私は自転車をひきずりながら、沼の岸づたいに歩いていった。周囲十丁くらいの小さい沼である。
近寄ってみると、五人の老爺《ろうや》が、むしろをひいて酒盛《さかもり》をしていた。狐火は、沼の岸の柳の枝にぶらさげた三個の燈籠であった。運動会の日の丸の燈籠である。老爺たちは、私の顔を覚えていて、みんな手を拍《う》って笑って、私を歓迎した。私は、その五人のうちの二人の老爺を知っていた。ひとりは米屋で破産、ひとりは汚い女をおめかけに持って痴呆《ちほう》になり、ともにふるさとの、笑いものであった。沼の水を渡って来る風は、とても臭い。
五人のもの、毎夜ここに集い、句会をひらいているというのである。私の自転車の提灯の火を見て、さては、狐火、と魂《たましい》消《け》しましたぞ、などと相かえり見て言って、またひとしきり笑いさざめくのである。私は、冷いにごり酒を二、三杯のまされ、そうして、かれらの句というものを、いくつか見せつけられたのである。いずれも、ひどく下手くそであった。すすきのかげの、されこうべ、などという句もあった。私はそのまま、自転車に乗って家へかえった。
「明月や、座に美しき顔もなし。」芭蕉も、ひどいことを言ったものだ。
る[#「る」はゴシック体]、流転|輪廻《りんね》。
ここには、或る帝大教授の身の上を書こうと思ったのであるが、それが、なかなかむずかしい。その教授は、つい二、三日まえに、起訴された。左傾思想、ということになっている。けれども、この教授は、五六年まえ、私たち学生のころ、自ら学生の左傾思想の善導者を以《もっ》て任じていた筈《はず》である。そうして、そのころの教授の、善導の言論も、やはり今日の起訴の理由の一つとして挙げられている。そのへんが、なかなかむずかしいのである。
もう四、五日余裕があれば、私も、いろいろと思案し、工夫をこらして、これを、なんとか一つの物語にまとめあげて、お目にかけるのだが、きょうは、すでに三月二日である。この雑誌は、三月十日前後に発売されるらしいのだから、きょうあたりは、それこそぎりぎりの締切日なのであろう。私は、きょうは、どんなことがあっても、この原稿を印刷所へ、とどけなければいけない。そう約束したのである。こんな、苦しい思いをするのも、つまりは日常の怠惰の故である。こんなことでは、たしかにいけない。覚悟ばかりは、たいへんでも、今までみたいに怠けていたんじゃ、ろくな小説家になれない。
を[#「を」はゴシック体]、姥捨山のみねの松風。
もって自戒とすべし。もういちど、こんな醜態を繰りかえしたら、それこそは、もう姥捨山だ。懶惰の歌留多。文字どおり、これは懶惰の歌留多になってしまった。はじめから、そのつもりでは、なかったのか? いいえ、もう、そんな嘘は吐きません。
わ[#「わ」はゴシック体]、われ山にむかいて眼を挙ぐ。
か[#「か」はゴシック体]、下民しいたげ易く、上天あざむき難し。
よ[#「よ」はゴシック体]、夜の次には、朝が来る。
底本:「太宰治全集2」ちくま文庫、筑摩書房
1988(昭和63)年9月27日第1刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版太宰治全集」筑摩書房
1975(昭和50)年6月〜1976(昭和51)年6月
入力:柴田卓治
校正:小林繁雄
1999年9月11日公開
2004年3月4日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全3ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
太宰 治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング