すぐに届けさせてくれよ。お祭が面白くないから、此所で死ぬほど飲むんだ。」
「へえ。」と剽軽《ひょうきん》に返事して、老人はそそくさ着物を着込んで、消えるように居なくなってしまいました。佐吉さんは急に大声出して笑い、
「江島のお父さんですよ。江島を可愛くって仕様が無いんですよ。へえ、と言いましたね。」
 やがてビイルが届き、様々の料理も来て、私達は何だか意味のわからない歌を合唱したように覚えて居ます。夕靄《ゆうもや》につつまれた、眼前の狩野川は満々と水を湛《たた》え、岸の青葉を嘗《な》めてゆるゆると流れて居ました。おそろしい程深い蒼い川で、ライン川とはこんなのではないかしら、と私は頗《すこぶ》る唐突ながら、そう思いました。ビイルが無くなってしまったので、私達は又、三島の町へ引返して来ました。随分遠い道のりだったので、私は歩きながら、何度も何度も、こくりと居眠りしました。あわててしぶい眼を開くと蛍がすいと額《ひたい》を横ぎります。佐吉さんの家へ辿り着いたら、佐吉さんの家には沼津の実家のお母さんがやって来て居ました。私は御免蒙って二階へ上り、蚊帳《かや》を三角に釣って寝てしまいました。言い争うような声が聞えたので眼を覚まし、窓の方を見ると、佐吉さんは長い梯子《はしご》を屋根に立てかけ、その梯子の下でお母さんと美しい言い争いをして居たのでありました。今夜、揚花火《あげはなび》の結びとして、二尺玉が上るということになって居て、町の若者達もその直径二尺の揚花火の玉については、よほど前から興奮して話し合っていたのです。その二尺玉の花火がもう上る時刻なので、それをどうしてもお母さんに見せると言ってきかないのです。佐吉さんも相当酔って居りました。
「見せるったら、見ねえのか。屋根へ上ればよく見えるんだ。おれが負《おぶ》ってやるっていうのに、さ、負さりなよ、ぐずぐずして居ないで負さりなよ。」
 お母さんはためらって居る様子でした。妹さんも傍にほの白く立って居て、くすくす笑って居る様子でした。お母さんは誰も居ぬのにそっとあたりを見廻し、意を決して佐吉さんに負さりました。
「ううむ、どっこいしょ。」なかなか重い様子でした。お母さんは七十近いけれど、目方は十五、六貫もそれ以上もあるような随分肥ったお方です。
「大丈夫だ、大丈夫。」と言いながら、そろそろ梯子を上り始めて、私はその親子の姿を見て
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