ンスを一篇だけ書いてみたい。男がそう祈願しはじめたのは、彼の生涯のうちでおそらくは一番うっとうしい時期に於いてであった。男は、あれこれと思いをめぐらし、ついにギリシャの女詩人、サフォに黄金の矢を放った。あわれ、そのかぐわしき才色を今に語り継がれているサフォこそ、この男のもやもやした胸をときめかす唯一の女性であったのである。
 男は、サフォに就いての一二冊の書物をひらき、つぎのようなことがらを知らされた。
 けれどもサフォは美人でなかった。色が黒く歯が出ていた。ファオンと呼ぶ美しい青年に死ぬほど惚《ほ》れた。ファオンには詩が判らなかった。恋の身投をするならば、よし死にきれずとも、そのこがれた胸のおもいが消えうせるという迷信を信じ、リュウカディアの岬から怒濤《どとう》めがけて身をおどらせた。

 生活。

 よい仕事をしたあとで
 一杯のお茶をすする
 お茶のあぶくに
 きれいな私の顔が
 いくつもいくつも
 うつっているのさ

 どうにか、なる。



底本:「晩年」新潮文庫、新潮社
   1947(昭和22)年12月10日発行
   1985(昭和60)年10年5日70刷改版
   1998(平成10)年7月20日103刷
初出:「鷭」(季刊同人誌)
   1934(昭和9)年4月
※「日本文学(e−text)全集」作成ファイル
入力:加藤るみ
校正:深水英一郎
1999年10月7日公開
2008年10月3日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全3ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
太宰 治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング