いほど白っぽかった。竜は頬のあからむほど嬉しくなった。兄に肩をたたいて貰ったのが有難かったのだ。いつもせめて、これぐらいにでも打ち解けて呉《く》れるといいが、と果敢《はか》なくも願うのだった。
 訪ねる人は不在であった。

 兄はこう言った。「小説を、くだらないとは思わぬ。おれには、ただ少しまだるっこいだけである。たった一行の真実を言いたいばかりに百頁の雰囲気をこしらえている」私は言い憎そうに、考え考えしながら答えた。「ほんとうに、言葉は短いほどよい。それだけで、信じさせることができるならば」
 また兄は、自殺をいい気なものとして嫌った。けれども私は、自殺を処世術みたいな打算的なものとして考えていた矢先であったから、兄のこの言葉を意外に感じた。

 白状し給え。え? 誰の真似なの?

 水《みず》到《いた》りて渠《きょ》成《な》る。

 彼は十九歳の冬、「哀蚊《あわれが》」という短篇を書いた。それは、よい作品であった。同時に、それは彼の生涯の渾沌《こんとん》を解くだいじな鍵《かぎ》となった。形式には、「雛《ひな》」の影響が認められた。けれども心は、彼のものであった。原文のまま。
 おかしな幽霊を見たことがございます。あれは、私が小学校にあがって間もなくのことでございますから、どうせ幻燈のようにとろんと霞んでいるに違いございませぬ。いいえ、でも、その青蚊帳《あおがや》に写した幻燈のような、ぼやけた思い出が奇妙にも私には年一年と愈々《いよいよ》はっきりして参るような気がするのでございます。
 なんでも姉様がお婿をとって、あ、ちょうどその晩のことでございます。御祝言の晩のことでございました。芸者衆がたくさん私の家に来て居りまして、ひとりのお綺麗《きれい》な半玉さんに紋附の綻《ほころ》びを縫って貰ったりしましたのを覚えて居りますし、父様が離座敷《はなれ》の真暗な廊下で脊のお高い芸者衆とお相撲《すもう》をお取りになっていらっしゃったのもあの晩のことでございました。父様はその翌年お歿《な》くなりになられ、今では私の家の客間の壁の大きな御写真のなかに、おはいりになって居られるのでございますが、私はこの御写真を見るたびごとに、あの晩のお相撲のことを必ず思い出すのでございます。私の父様は、弱い人をいじめるようなことは決してなさらないお方でございましたから、あのお相撲も、きっと芸者衆が
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