ながら、電車みちをこえてこっちへ来た。女の子に縄張りのことで言いがかりをつけたのだった。女の子は三度もお辞儀をした。松葉杖の乞食は、まっくろい口鬚《くちひげ》を噛みしめながら思案したのである。
「きょう切りだぞ」
 とひくく言って、また霧のなかへ吸いこまれていった。
 女の子は、間もなく帰り仕度をはじめた。花束をゆすぶって見た。花屋から屑花《くずはな》を払いさげてもらって、こうして売りに出てから、もう三日も経っているのであるから花はいい加減にしおれていた。重そうにうなだれた花が、ゆすぶられる度毎に、みんなあたまを顫《ふる》わせた。
 それをそっと小わきにかかえ、ちかくの支那蕎麦《しなそば》の屋台へ、寒そうに肩をすぼめながらはいって行った。
 三晩つづけてここで雲呑《ワンタン》を食べるのである。そこのあるじは、支那のひとであって、女の子を一人並の客として取扱った。彼女にはそれが嬉しかったのである。
 あるじは、雲呑《ワンタン》の皮を巻きながら尋ねた。
「売レマシタカ」
 眼をまるくして答えた。
「イイエ。……カエリマス」
 この言葉が、あるじの胸を打った。帰国するのだ。きっとそうだ、と美しく禿《は》げた頭を二三度かるく振った。自分のふるさとを思いつつ釜から雲呑の実を掬っていた。
「コレ、チガイマス」
 あるじから受け取った雲呑の黄色い鉢を覗いて、女の子が当惑そうに呟いた。
「カマイマセン。チャシュウワンタン。ワタシノゴチソウデス」
 あるじは固くなって言った。
 雲呑は十銭であるが、叉焼雲呑《チャシュウワンタン》は二十銭なのである。
 女の子は暫《しばら》くもじもじしていたが、やがて、雲呑の小鉢を下へ置き、肘《ひじ》のなかの花束からおおきい蕾のついた草花を一本引き抜いて、差しだした。くれてやるというのである。
 彼女がその屋台を出て、電車の停留場へ行く途中、しなびかかった悪い花を三人のひとに手渡したことをちくちく後悔しだした。突然、道ばたにしゃがみ込んだ。胸に十字を切って、わけの判らぬ言葉でもって
烈《はげ》しいお祈りをはじめたのである。
 おしまいに日本語を二言囁いた。
「咲クヨウニ。咲クヨウニ」

 安楽なくらしをしているときは、絶望の詩を作り、ひしがれたくらしをしているときは、生のよろこびを書きつづる。

 春ちかきや?

 どうせ死ぬのだ。ねむるようなよいロマ
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