よ。残酷じゃないか。そりゃどうせ僕たちは、酒を飲ませていただきたいよ。そりゃそうさ。」と僕は、ほとんど破れかぶれになり、「しかし、僕の見るところでは、あのマサちゃんは、おじさんに似合わず、全く似合わず、いい子だよ。それでね、僕の友人でいま東京の帝大の文科にはいっている鶴田君、と言ってもおじさんにはわからないだろうが、ほら、僕がいつも引っぱって来る大学生の中で一ばん背が高くて色の白い、羽左衛門《うざえもん》に似た(別に僕は君が羽左衛門にも誰にも似ているとは思わないが、美男子という事を強調するために、おじさんの知っていそうな美男の典型人の名前を挙げてみただけである)そんなに酒を飲まない(その実、僕のところへ来る大学生のうちで君が一ばんの大酒飲みであった)おとなしそうな青年が、その鶴田君なんだがね、あれは仙台の人でね、少し言葉に仙台なまりがあるからあまり女には好かれないようだけれど、まあ、かえってそのほうがいい。僕のように好かれすぎても困る。」
 おじさんは、うんざりしたように顔をしかめたが、僕は平気で、
「その鶴田君だがね、母ひとり子ひとりなんだ。もうすぐ帝大を卒業して、まあ文学士という事になるわけだが、或《ある》いは卒業と同時に兵隊に行くかも知れん。しかし、また、行かないかも知れん。行かない場合は、どこかで勤めるという事になるだろうが、(この辺までは本当だが、それからみんな嘘《うそ》)僕は鶴田君のお母さんと昔からの知合いでね、僕のようなものでも、これでも、まあ、信頼されているのだ。それでね、ひとり息子の鶴田君の嫁は、何とかして先生に、僕の事だよ先生というのは、その先生に捜してもらいたいと、本当だよ、つまり僕はその全権を委任されているような次第なのだ。」
 しかし、かのおじさんは、いかにも馬鹿々々しいというような顔つきをして横を向き、
「冗談じゃない。あんたに、そんな大事な息子さんを。」と言い、てんで相手にしてくれない。
「いや、そうじゃない。まかせられているのだ。」と僕は厚かましく言い張り、「ところで、どうだろう。その鶴田君と、マサちゃんと。」と言いかけた時に、おじさんは、
「馬鹿らしい。」と言って立ち上り、「まるで気違いだ。」
 さすがに僕もむっとして、奥へ引き上げて行くおじさんのうしろ姿に向い、
「君は、ひとの親切がわからん人だね。酒なんか飲みたかねえよ。ばかものめ。」と言った。まさに、めちゃ苦茶である。これで僕たちの、れいの悪計も台無しになったというわけであった。
 僕は、その夜、僕の家へ遊びにやって来た君たちに向って、われらの密計ことごとく破れ果てた事を報告し、謝罪した。けだし、僕たちの策戦たるや、かの吉良《きら》邸の絵図面を盗まんとして四十七士中の第一の美男たる岡野金右衛門が、色仕掛の苦肉の策を用いて成功したという故智《こち》にならい、美男と自称する君にその岡野の役を押しつけ、かの菊屋一家を迷わせて、そのドサクサにまぎれ、大いに菊屋の酒を飲もうという悪い量見から出たところのものであったが、首領の大石が、ヘマを演じてかの現実主義者のおじさんのために木っ葉みじんの目に遭ったというわけであった。
「だめだなあ、先生は。」と君はさかんに僕を軽蔑《けいべつ》する。「先生はとにかく、それでは僕の面目までまるつぶれだ。何の見るべきところも無い。」
「やけ酒でも飲むか。」と僕は立ち上る。
 その夜は、三鷹、吉祥寺のおでんや、すし屋、カフェなど、あちこちうろついて頼んでみても、どこにも酒が一滴も無かった。やはり、菊屋に行くより他は無い。少からず、てれくさい思いであったが、暴虎馮河《ぼうこひょうか》というような、すさんだ勢いで、菊屋へ押しかけ、にこりともせず酒をたのんだ。
 その夜、僕たちはおかみさんから意外の厚遇を賜《たまわ》った。困るわねえ、などと言いながらも、そっとお銚子をかえてくれる。われら破れかぶれの討入の義士たちは、顔を見合せて、苦笑した。
 僕はわざと大声で、
「鶴田君! 君は、ふだんからどうも、酒も何も飲まず、まじめ過ぎるよ。今夜は、ひとつ飲んでみたまえ。これもまた人生修行の一つだ。」などと、大酒飲みの君に向って言う。
 馬鹿らしい事であったが、しかし、あれも今ではなつかしい思い出になった。僕たちは、図に乗って、それからも、しばしば菊屋を襲って大酒を飲んだ。
 菊屋のおじさんは、てんでもう、縁談なんて信用していないふうであったが、しかし、おかみさんは、どうやら、半信半疑ぐらいの傾きを示していたようであった。
 けれども僕たちの目的は、菊屋に於いて大いに酒を飲む事にある。従ってその縁談に於いては甚だ不熱心であり、時たま失念していたりする仕末であった。菊屋へ行ってお酒をねだる時だけ、
「何せ僕は、全権を委託されているのだからな
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