られてある。
「先生には、まだ色気があるんですね。恥かしかったですか?」
「すこし、恥かしかった。」
「そんなに見栄坊《みえぼう》では、兵隊になれませんよ。」
 僕たちは駅から出て上野公園に向った。
「兵隊だって見栄坊さ。趣味のきわめて悪い見栄坊さ。」
 帝国主義の侵略とか何とかいう理由からでなくとも、僕は本能的に、或《ある》いは肉体的に兵隊がきらいであった。或る友人から「服役中は留守宅の世話|云々《うんぬん》」という手紙をもらい、その「服役」という言葉が、懲役《ちょうえき》にでも服しているような陰惨な感じがして、これは「服務中」の間違いではなかろうかと思って、ひとに尋ねてみたが、やはりそれは「服役」というのが正しい言い習わしになっていると聞かされ、うんざりした事がある。
「酒を飲みたいね。」と僕は、公園の石段を登りながら、低くひとりごとのように言った。
「それも、悪い趣味でしょう。」
「しかし、少くとも、見栄ではない。見栄で酒を飲む人なんか無い。」
 僕は公園の南洲の銅像の近くの茶店にはいって、酒は無いかと聞いてみた。有る筈《はず》はない。お酒どころか、その頃の日本の飲食店には、既にコーヒーも甘酒も、何も無くなっていたのである。
 茶店の娘さんに冷く断られても、しかし、僕はひるまなかった。
「御主人がいませんか。ちょっと逢いたいのですが。」と僕は真面目《まじめ》くさってそう言った。
 やがて出て来た頭の禿《は》げた主人に向って、僕は今日の事情をめんめんと訴え、
「何かありませんか。なんでもいいんです。ひとえにあなたの義侠心《ぎきょうしん》におすがりします。たのみます。ひとえにあなたの義侠心に、……」という具合にあくまでもねばり、僕の財布の中にあるお金を全部、その主人に呈出した。
「よろしい!」とその頭の禿げた主人は、とうとう義侠心を発揮してくれた。「そんなわけならば、私の晩酌用のウィスキイを、わけてあげます。お金は、こんなにたくさん要《い》りません。実費でわけてあげます。そのウィスキイは、私は誰にも飲ませたくないから、ここに隠してあるのです。」
 主人は、憤激しているようなひどく興奮のていで、矢庭《やにわ》に座敷の畳をあげ、それから床板を起し、床下からウィスキイの角瓶を一本とり出した。「万歳!」と僕は言って、拍手した。
 そうして、僕たちはその座敷にあがり込んで乾
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