らゐは、助力してもらへるだらうと、虫のいい、ひとりぎめをして、それでもつて、ささやかでも、厳粛な結婚式を挙げ、あとの、世帯を持つに当つての費用は、私の仕事でかせいで、しようと思つてゐた。けれども、二、三の手紙の往復に依り、うちから助力は、全く無いといふことが明らかになつて、私は、途方にくれてゐたのである。このうへは、縁談ことわられても仕方が無い、と覚悟をきめ、とにかく先方へ、事の次第を洗ひざらひ言つて見よう、と私は単身、峠を下り、甲府の娘さんのお家へお伺ひした。さいはひ娘さんも、家にゐた。私は客間に通され、娘さんと母堂と二人を前にして、悉皆《しつかい》の事情を告白した。ときどき演説口調になつて、閉口した。けれども、割に素直に語りつくしたやうに思はれた。娘さんは、落ちついて、
「それで、おうちでは、反対なのでございませうか。」と、首をかしげて私にたづねた。
「いいえ、反対といふのではなく、」私は右の手のひらを、そつと卓の上に押し当て、「おまへひとりで、やれ、といふ工合ひらしく思はれます。」
「結構でございます。」母堂は、品よく笑ひながら、「私たちも、ごらんのとほりお金持ではございませぬし、ことごとしい式などは、かへつて当惑するやうなもので、ただ、あなたおひとり、愛情と、職業に対する熱意さへ、お持ちならば、それで私たち、結構でございます。」
私は、お辞儀するのも忘れて、しばらく呆然と庭を眺めてゐた。眼の熱いのを意識した。この母に、孝行しようと思つた。
かへりに、娘さんは、バスの発着所まで送つて来て呉れた。歩きながら、
「どうです。もう少し交際してみますか?」
きざなことを言つたものである。
「いいえ。もう、たくさん。」娘さんは、笑つてゐた。
「なにか、質問ありませんか?」いよいよ、ばかである。
「ございます。」
私は何を聞かれても、ありのまま答へようと思つてゐた。
「富士山には、もう雪が降つたでせうか。」
私は、その質問に拍子抜けがした。
「降りました。いただきのはうに、――」と言ひかけて、ふと前方を見ると、富士が見える。へんな気がした。
「なあんだ。甲府からでも、富士が見えるぢやないか。ばかにしてゐやがる。」やくざな口調になつてしまつて、「いまのは、愚問です。ばかにしてゐやがる。」
娘さんは、うつむいて、くすくす笑つて、
「だつて、御坂峠にいらつしやるので
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