てお酒やらお料理やらを私どもの部屋に持ち運んで来て、大旦那の言いつけかまたは若旦那の命令か知らぬが、部屋の入口にそれを置いてお辞儀をして、だまってそのまま引下ってしまうのである。
「君は僕を、好色の人間だと思うかね。どうかね。」
「そりゃ、好色でしょう。」
「実は、そうなんだ。」
と言って、女中にお酌でもさせてもらうように遠まわしの謎《なぞ》を掛けたりなどしてみたのであるが、彼は意識的にか、あるいは無意識的にか、一向にそれに気附かぬ顔をして、この港町の興亡盛衰の歴史を、ながながと説いて聞かせるばかりなので、私はがっかりした。
「ああ、酔った。寝ようか。」
と私は言った。
私は表二階の、おそらくはこの宿屋で一ばんよい部屋なのであろう、二十畳間くらいの大きい部屋のまんなかに、ひとりで寝かされた。私は、くるしいくらいに泥酔していた。地方文化、あなどるべからず、ナンマンダ、ナンマンダ、などと、うわごとに似たとりとめない独《ひと》り言《ごと》を呟《つぶや》いて、いつのまにか眠ったようだ。
ふと、眼をさました。眼をさました、といっても、眼をひらいたのではない。眼をつぶったまま覚醒し、まず波の音が耳にはいり、ああここは、港町の小川君の家だ、ゆうべはずいぶんやっかいをかけたな、というところあたりから後悔がはじまり、身の行末も心細く胸がどきどきして来て、突然、二十年も昔の自分の奇妙にキザな振舞いの一つが、前後と何の聯関《れんかん》も無く、色あざやかに浮んで来て、きゃっと叫びたいくらいのたまらない気持になり、いかん! つまらん! など低く口に出して言ってみたりして、床の中で輾転《てんてん》しているのである。泥酔して寝ると、いつもきまって夜中に覚醒し、このようなやりきれない刑罰の二、三時間を神から与えられるのが、私のこれまでの、ならわしになっているのだ。
「すこしでも、眠らないと、わるいわよ。」
まぎれもなく、あの女中の声である。しかし、それは私に向って言ったのではない。私の蒲団《ふとん》の裾《すそ》のほうに当っている隣室から、ひそひそと漏れ聞えて来る声なのである。
「ええ、なかなか、眠れないんです。」
若い男の、いや、ほとんど少年らしいひとの、いやみのない応答である。
「ちょっと一眠りしましょうよ。何時ですか?」と女。
「三時、十三、いや、四分《よんぷん》です。」
「そう?
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