どうでしょうか。
 私たちの魯迅先生が、いま生きていたら、何と言われるでしょう。また、プウシキンの読者だったあのレニンが、いま生きていたら、何と言うでしょう。
 またまた、イデオロギイ小説が、はやるのでしょうか。あれは対戦中の右翼小説ほどひどくは無いが、しかし小うるさい点に於いては、どっちもどっちというところです。私は無頼派《リベルタン》です。束縛に反抗します。時を得顔のものを嘲笑《ちょうしょう》します。だから、いつまで経っても、出世できない様子です。
 私はいまは保守党に加盟しようと思っています。こんな事を思いつくのは私の宿命です。私はいささかでも便乗みたいな事は、てれくさくて、とても、ダメなのです。
 宿命と言い、縁と言い、こんな言葉を使うと、またあのヒステリックな科学派、または「必然組」が、とがめ立てするでしょうが、もうこんどは私もおびえない事にしています。私は私の流儀でやって行きます。
 汝等《なんじら》おのれを愛するが如く、汝の隣人を愛せよ。
 これが私の最初のモットーであり、最後のモットーです。
 さようなら。またおひまの折には、おたよりを下さい。しかし、妙な縁でしたね。お
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