、その頃の新聞、雑誌のたぐいを一さい読むまいと決意した事がありましたが、いまもまた、それに似た気持が起って来ました。
あなたの大好きな魯迅先生は、所謂《いわゆる》「革命」に依る民衆の幸福の可能性を懐疑し、まず民衆の啓蒙《けいもう》に着眼しました。またかつて私たちの敬愛の的であった田舎|親爺《おやじ》の大政治家レニンも、常に後輩に対し、「勉強せよ、勉強せよ、そして勉強せよ」と教えていた筈であります。教養の無いところに、真の幸福は絶対に無いと私は信じています。
私はいまジャーナリズムのヒステリックな叫びの全部に反対であります。戦争中に、あんなにグロテスクな嘘をさかんに書き並べて、こんどはくるりと裏がえしの同様の嘘をまた書き並べています。講談社がキングという雑誌を復活させたという新聞広告を見て、私は列国の教養人に対し、冷汗をかきました。恥ずかしくてならないのです。
どうして、こんなに厚顔無恥なのでしょう。カルチベートされた人間は、てれる事を知っています。レニンは、とても、てれやだったそうではありませんか。殊に外国からやって来た素見《ひやかし》の客(たとえば、松岡とか大島とかいう人たち)
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