、池のほとりの大きい旅館に一緒に泊り、翌《あく》る朝は、からりと晴れていたので、私は友人とわかれてバスに乗り御坂峠《みさかとうげ》を越えて甲府へ行こうとしたが、バスは河口湖を過ぎて二十分くらい峠をのぼりはじめたと思うと、既に恐ろしい山崩れの個所に逢着《ほうちゃく》し、乗客十五人が、おのおの尻端折《しりはしょ》りして、歩いて峠を越そうと覚悟をきめて三々五々、峠をのぼりはじめたが、行けども行けども甲府方面からの迎えのバスが来ていない。断念して、また引返し、むなしくもとのバスに再び乗って吉田町まで帰って来たわけであるが、すべては、私の魔の銘仙のせいである。こんど、どこか旱魃《かんばつ》の土地の噂《うわさ》でも聞いた時には、私はこの着物を着てその土地に出掛け、ぶらぶら矢鱈《やたら》に歩き廻って見ようと思っている。沛然《はいぜん》と大雨になり、無力な私も、思わぬところで御奉公できるかも知れない。私には、単衣はこの雨着物の他に、久留米絣のが一枚ある。これは、私の原稿料で、はじめて買った着物である。私は、これを大事にしている。最も重要な外出の際にだけ、これを着て行くことにしているのである。自分では、
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