の安宅《あたか》の関《せき》の故智《こち》を思い浮べたのである。弁慶、情けの折檻《せっかん》である。私は意を決して、友人の頬をなるべく痛くないように、そうしてなるべく大きい音がするように、ぴしゃん、ぴしゃんと二つ殴って、
「君、しっかりし給え。いつもの君は、こんな工合いでないじゃないか。今夜に限って、どうしたのだ。しっかりし給え。」と主人に聞えるように大きい声で言って、これでまず、追放はまぬかれたと、ほっとしたとたんに、義経は、立ち上って弁慶にかかって来た。
「やあ、殴りやがったな。このままでは、すまんぞ。」と喚《わめ》いたのである。こんな芝居は無い。弱い弁慶は狼狽して立ち上り、右に左に体を、かわしているうちに、とうとう待っているものが来た。主人はまっすぐに私のところへ来て、どうぞ外へ出て下さい、他のお客さんに迷惑です、と追放令を私に向って宣告したのである。考えてみると、さきに乱暴を働いたのは、たしかに私のほうであった。弁慶の苦肉の折檻であった等とは、他人には、わからないのが当然である。客観的に、乱暴の張本人は、たしかに私なのである。酔ってなお大声で喚いている友人をあとに残して、私は主
前へ 次へ
全26ページ中25ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
太宰 治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング