履にステッキという姿では無かった。袴《はかま》をはいて、新しい駒下駄《こまげた》をはいていた。私がフェルト草履を、きらうのは、何も自分の蛮風を衒《てら》っているわけではない。フェルト草履は、見た眼にも優雅で、それに劇場や図書館、その他のビルディングにはいる時でも、下駄の時のように下足係の厄介《やっかい》にならずにすむから、私も実は一度はいてみた事があるのであるが、どうも、足の裏が草履の表の茣蓙《ござ》の上で、つるつる滑っていけない。頗《すこぶ》る不安な焦躁感を覚える。下駄よりも五倍も疲れるようである。私は、一度きりで、よしてしまった。またステッキも、あれを振り廻して歩くと何だか一見識があるように見えて、悪くないものであるが、私は人より少し背が高いので、どのステッキも、私には短かすぎる。無理に地面を突いて歩こうとすると、私は腰を少し折曲げなければならぬ。いちいち腰をかがめてステッキをついて歩いていると、私は墓参の老婆のように見えるであろう。五、六年前に、登山用のピッケルの細長いのを見つけて、それをついて街を歩いていたら、やはり友人に悪趣味であると言って怒られ、あわてて中止したが、何も私は
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