のであるが、この時も、まことに評判が悪く、洋服とは珍らしいが、よくないね、似合わないよ、なんだって又、などと知人ことごとく感心しなかったようである。ついには洋服を貸してくれたY君が、どうも君のおかげで、僕の洋服まで評判が悪くなった、僕も、これから、その洋服を着て歩く気がしなくなった、と会場の隅で小声で私に不平をもらしたのである。たった一度の洋服姿も、このような始末であった。再び洋服を着る日は、いつの事であろうか、いまのところ百円を投じて新調する気もさらに無いし、甚だ遠いことではなかろうかと思っている。私は当分、あり合せの和服を着て歩くより他は無いのであろう。前に言ったように袷は二揃いあるのだが、絹のもののは、あまり好まない。久留米絣のが一揃いあるが、私は、このほうを愛している。私には野暮な、書生流の着物が、何だか気楽である。一生を、書生流に生きたいとも願っている。会などに出る前夜には、私は、この着物を畳んで蒲団の下に敷いて寝るのである。すると入学試験の前夜のような、ときめきを幽かに感ずるのである。この着物は、私にとって、謂わば討入の晴着のようなものである。秋が深くなって、この着物を大威張りで着て歩けるような季節になると、私は、ほっとするのである。つまり、単衣から袷に移る、その過渡期に於いて、私には着て歩く適当な衣服が無いからでもあるのだ。過渡期は、つねに私のような無力者を、まごつかせるものだが、この、夏と秋との過渡期に於て、私の困惑は深刻である。袷には、まだ早い。あの久留米絣のお気に入りらしい袷を、早く着たいのだが、それでは日中暑くてたまらぬ。単衣を固執していると、いかにも貧寒の感じがする。どうせ貧寒なのだから、木枯しの中を猫背になってわななきつつ歩いているのも似つかわしいのであろうが、そうするとまた、人は私を、貧乏看板とか、乞食《こじき》の威嚇《いかく》、ふてくされ等と言って非難するであろうし、また、寒山拾得の如く、あまり非凡な恰好をして人の神経を混乱させ圧倒するのも悪い事であるから、私は、なるべくならば普通の服装をしていたいのである。簡単に言ってしまうと、私には、セルがないのである。いいセルが、どうしても一枚ほしいのである。実は一枚、あることはあるのだが、これは私が高等学校の、おしゃれな時代に、こっそり買い入れたもので薄赤い縞《しま》が縦横に交錯されていて、おし
前へ
次へ
全13ページ中8ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
太宰 治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング