すめて下さい。君ほどの作家の小説には、成功も失敗も無いものです。
 あの温泉宿の女中さん達は、自分の拝見したところに依ると、君をたいへん好いているようでしたね。けれども君の手紙に依れば、君は散々《さんざん》の恥辱を与えられたという事になって居りました。嘘ばかり言っている。君は、ことさらに自分を惨めに書く事を好むようですね。やめるがよい。貯金帳を縁の下に隠しているのと同じ心境ですよ。あの、蔵の中の娘さんとも、君は毎晩、散歩していたそうじゃないか。女中さん達が、そう言っていたぜ。キスくらいは、したんじゃないか。なるほど、君たちの遊びは、いやらしい。
 もう自分に手紙を寄こさないそうだが、自分は、なんとも思わない。友情は、義務でない。また手紙を寄こしたくなったら、寄こすがよい。要するに、自分は、君の言う事を、信用しない事にする。君の言ってる事が、わからないのです。
 はっきり言うと、自分は、あの温泉宿で君と遊んで、たいへんつまらなかった。君はまだ、作家を鼻にかけている。そうして、井原と木戸を、いつでも秤《はかり》にかけて較《くら》べてみていました。つまらない。
 あんまり悪口を言うと、君がまた小説を書けなくなるといけないから、最後に一つだけ、君を歓ばせる言葉を附け加えます。
「天才とは、いつでも自身を駄目だと思っている人たちである。」
 笑ったね。匆々《そうそう》。
    昭和十六年八月十九日[#地から3字上げ]井原退蔵
  木戸一郎様



底本:「太宰治全集4」ちくま文庫、筑摩書房
   1988(昭和63)年12月1日第1刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版太宰治全集」筑摩書房
   1975(昭和50)年6月から1976(昭和51)年6月
入力:柴田卓治
校正:高橋真也
2000年4月1日公開
2004年3月4日修正
青空文庫作成ファイル:
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