はなり切れなかったから、せめて罪滅しに一生、小説を書いて行きます、とでも言うのなら、まだしも素直だ。作家は、例外なしに実にくだらない人間なのだと自分は思っています。聖者の顔を装いたがっている作家も、自分と同輩の五十を過ぎた者の中にいるようだが、馬鹿な奴だ。酒を呑まないというだけの話だ。「なんじら祈るとき、偽善者の如くあらざれ。彼らは人に顕《あらわ》さんとて、会堂や大路の角《かど》に立ちて祈ることを好む。」ちゃんと指摘されています。
 君の手紙だって同じ事です。君は、君自身の「かよわい」善良さを矢鱈《やたら》に売込もうとしているようで、実にみっともない。君は、そんなに「かよわく」善良なのですか。御両親を捨てて上京し、がむしゃらに小説を書いて突進し、とうとう小説家としての一戸を構えた。気の弱い、根からの善人には、とても出来る仕業《しわざ》ではありません。敗北者の看板は、やめていただく。君は、たしかに嘘ばかり言っています。君は、まずしく痩《や》せた小説ばかりを書いて、そうして、昭和の文壇の片隅《かたすみ》に現われかけては消え、また現われかけては忘れられて、そうして、このごろは全く行きづまって、語学の勉強をはじめようか、日本の歴史を研究し直そうかと考えているのだそうですが、全部嘘です。君は、そんな自嘲《じちょう》の言葉で人に甘えて、君自身の怠惰と傲慢をごまかそうとしているだけです。ちょっと地味に見えながらも、君ほど自我の強い男は、めったにありません。おそろしく復讐心の強い男のようにさえ見えます。自分自身を悪い男だ、駄目な男だと言いながら、その位置を変える事には少しも努力せず、あわよくばその儘《まま》でいたい、けれどもその虫のよい考えがあまり目立っても具合いが悪いので、仮病の如くやたらに顔をしかめて苦痛の表情よろしく、行きづまった、ぎりぎりに困惑した等と呻《うめ》いているだけの事で、内心どこかで、だけど俺は偉いんだ、俺の作品は残るのだと小声で囁《ささや》いて赤い舌を出しているというのが、君の手紙の全体から受けた印象であります。君自身の肉体の疲労やら、精神の弛緩《しかん》、情熱の喪失を、ひたすら時代のせいにして、君の怠惰を巧みに理窟附けて、人の同情を得ようとしている。行きづまった、けれどもその理由は、申し上げません等と、なんという思わせ振りな懦弱《だじゃく》な言いかたをするのだろう。ひどい圧迫を受けているのだが、けれども忍んで、それは申し上げませんと殊勝な事を言っているようにも聞えますが、誰が一体、君をそんなに圧迫しているのですか。誰ですか? みんなが君を、大事にしているじゃありませんか。君は慾張りです。一本の筆と一帖の紙を与えられたら、作家はそこに王国を創《つく》る事が出来るではないか。君は、自身の影におびえているのです。君は、ありもしない圧迫を仮想して、やたらに七転八倒しているだけです。滑稽な姿であります。書きたいけれども書けなくなったというのはRで、君には今、書きたいものがなんにも無いのでしょう。書きたいものが無くなったら、理窟も何もない、それっきりです。作家が死滅したのです。救助の仕様もありません。君の手紙を見て、自分は君の本質的な危機を見ました。冗談言って笑ってごまかしている時ではありません。君は或いは君の仕事にやや満足しているのではあるまいか。やるべきところ迄は、やり果した。これ以上のものは、もはや書けまい、まず、これでよし等と考えているのでしたら、とんでも無い事です。君はまだ、やっとお手本を巧みに真似る事が出来ただけです。君の作品の中に十九世紀の完成を見附ける事は出来ても、二十世紀の真実が、すこしも具現せられて居りません。二十世紀の真実とは、言葉をかえて言えば、今日のロマンス、或いは近代芸術という事になるのですが、それは君の作品だけでなく、世界の誰の作品の中にも未だはっきり具現せられて居りません。企図した人は、すべて無慙《むざん》に失敗し、少し飛び上りそうになっては墜落し、世人には山師のように言われ、まるでダヴィンチの飛行機の如く嘲笑せられているのです。けれども自分は信じています。真の近代芸術は、いつの日か一群の天才たちに依って必ず立派に創成せられる。それは未だ世界に全く無かったものだ。お手本から完全に解放せられて二十世紀の自然から堂々と湧出《ゆうしゅつ》する芸術。それは必ず実現せられる。そうして自分は、その新しい芸術が、世界のどこの国よりも、この日本の国に於いて、最も美事に開花するのだと信じている。君たちと、君たちの後輩が、それを創るようになるだろうと思っている。日本には、明治以来たくさんの作家が出ましたが、一つの創作も無かったと言ってよい。創作という言葉は、誰が発明したものかわからないけれども、実にいい言葉だと思う。多く
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