ろう。ひどい圧迫を受けているのだが、けれども忍んで、それは申し上げませんと殊勝な事を言っているようにも聞えますが、誰が一体、君をそんなに圧迫しているのですか。誰ですか? みんなが君を、大事にしているじゃありませんか。君は慾張りです。一本の筆と一帖の紙を与えられたら、作家はそこに王国を創《つく》る事が出来るではないか。君は、自身の影におびえているのです。君は、ありもしない圧迫を仮想して、やたらに七転八倒しているだけです。滑稽な姿であります。書きたいけれども書けなくなったというのはRで、君には今、書きたいものがなんにも無いのでしょう。書きたいものが無くなったら、理窟も何もない、それっきりです。作家が死滅したのです。救助の仕様もありません。君の手紙を見て、自分は君の本質的な危機を見ました。冗談言って笑ってごまかしている時ではありません。君は或いは君の仕事にやや満足しているのではあるまいか。やるべきところ迄は、やり果した。これ以上のものは、もはや書けまい、まず、これでよし等と考えているのでしたら、とんでも無い事です。君はまだ、やっとお手本を巧みに真似る事が出来ただけです。君の作品の中に十九世紀の完成を見附ける事は出来ても、二十世紀の真実が、すこしも具現せられて居りません。二十世紀の真実とは、言葉をかえて言えば、今日のロマンス、或いは近代芸術という事になるのですが、それは君の作品だけでなく、世界の誰の作品の中にも未だはっきり具現せられて居りません。企図した人は、すべて無慙《むざん》に失敗し、少し飛び上りそうになっては墜落し、世人には山師のように言われ、まるでダヴィンチの飛行機の如く嘲笑せられているのです。けれども自分は信じています。真の近代芸術は、いつの日か一群の天才たちに依って必ず立派に創成せられる。それは未だ世界に全く無かったものだ。お手本から完全に解放せられて二十世紀の自然から堂々と湧出《ゆうしゅつ》する芸術。それは必ず実現せられる。そうして自分は、その新しい芸術が、世界のどこの国よりも、この日本の国に於いて、最も美事に開花するのだと信じている。君たちと、君たちの後輩が、それを創るようになるだろうと思っている。日本には、明治以来たくさんの作家が出ましたが、一つの創作も無かったと言ってよい。創作という言葉は、誰が発明したものかわからないけれども、実にいい言葉だと思う。多く
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