。出掛けたらさいご、二日も三日も帰らない事がある。父はどこかで、義のために遊んでいる。地獄の思いで遊んでいる。いのちを賭《か》けて遊んでいる。母は観念して、下の子を背負い、上の子の手を引き、古本屋に本を売りに出掛ける。父は母にお金を置いて行かないから。
そうして、ことしの四月には、また子供が生れるという。それでなくても乏しかった衣類の、大半を、戦火で焼いてしまったので、こんど生れる子供の産衣《うぶぎ》やら蒲団《ふとん》やら、おしめやら、全くやりくりの方法がつかず、母は呆然《ぼうぜん》として溜息《ためいき》ばかりついている様子であるが、父はそれに気附かぬ振りしてそそくさと外出する。
ついさっき私は、「義のために」遊ぶ、と書いた。義? たわけた事を言ってはいけない。お前は、生きている資格も無い放埒病《ほうらつびょう》の重患者に過ぎないではないか。それをまあ、義、だなんて。ぬすびとたけだけしいとは、この事だ。
それは、たしかに、盗人の三分《さんぶ》の理にも似ているが、しかし、私の胸の奥の白絹に、何やらこまかい文字が一ぱいに書かれている。その文字は、何であるか、私にもはっきり読めない。た
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