五つも年上の頭の禿《は》げた洋画家であった。
「あら、だって、……」
小説というものがメシよりも好きと法螺《ほら》を吹いているトシちゃんは、ひどく狼狽《ろうばい》して、
「林先生って、男の方なの?」
「そうだ。高浜|虚子《きよこ》というおじいさんもいるし、川端|龍子《りゅうこ》という口髭《くちひげ》をはやした立派な紳士もいる。」
「みんな小説家?」
「まあ、そうだ。」
それ以来、その洋画家は、新宿の若松屋に於《お》いては、林先生という事になった。本当は二科の橋田新一郎氏であった。
いちど僕は、ピアニストの川上六郎氏を、若松屋のその二階に案内した事があった。僕が下の御不浄に降りて行ったら、トシちゃんが、お銚子《ちょうし》を持って階段の上り口に立っていて、
「あのかた、どなた?」
「うるさいなあ。誰だっていいじゃないか。」
僕も、さすがに閉口していた。
「ね、どなた?」
「川上っていうんだよ。」
もはや向っ腹が立って来て、いつもの冗談も言いたく無く、つい本当の事を言った。
「ああ、わかった。川上眉山。」
滑稽《こっけい》というよりは、彼女のあまりの無智にうんざりして、ぶん殴りたいような気にさえなり、
「馬鹿野郎!」
と言ってやった。
それ以来、僕たちは、面と向えば彼女をトシちゃんと呼んでいたが、かげでは、眉山と呼ぶようになった。そうしてまた、若松屋の事を眉山軒などと呼ぶ人も出て来た。
眉山の年齢は、はたち前後とでもいうようなところで、その風采《ふうさい》は、背が低くて色が黒く、顔はひらべったく眼が細く、一つとしていいところが無かったけれども、眉《まゆ》だけは、ほっそりした三ヶ月型で美しく、そのためにもまた、眉山という彼女のあだ名は、ぴったりしている感じであった。
けれども、その無智と図々《ずうずう》しさと騒がしさには、我慢できないものがあった。下にお客があっても、彼女は僕たちの二階のほうにばかり来ていて、そうして、何も知らんくせに自信たっぷりの顔つきで僕たちの話の中に割り込む。たとえば、こんな事もあった。
「でも、基本的人権というのは、……」
と、誰かが言いかけると、
「え?」
とすぐに出しゃばり、
「それは、どんなんです? やはり、アメリカのものなんですか? いつ、配給になるんです?」
人絹《じんけん》と間違っているらしいのだ。あまりひどすぎ
前へ
次へ
全8ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
太宰 治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング