がわかっているだけに、尚《なお》のこと、どぎまぎして、すっかり他人行儀になってしまいます。あの人にも、また、私の自信のなさが、よくおわかりの様で、ときどき、やぶから棒に、私の顔、また、着物の柄など、とても不器用にほめることがあって、私には、あの人のいたわりがわかっているので、ちっとも嬉しいことはなく、胸が、一ぱいになって、せつなく、泣きたくなります。あの人は、いい人です。せんの女のひとのことなど、ほんとうに、これぼっちも匂わしたことがございません。おかげさまで、私は、いつも、そのことは忘れています。この家だって、私たち結婚してから新しく借りたのですし、あの人は、そのまえは、赤坂のアパアトにひとりぐらししていたのでございますが、きっと、わるい記憶を残したくないというお心もあり、また、私への優しい気兼ねもあったのでございましょう、以前の世帯《しょたい》道具一切合切、売り払い、お仕事の道具だけ持って、この築地《つきじ》の家へ引越して、それから、私にも僅かばかり母からもらったお金がございましたし、二人で少しずつ世帯の道具を買い集めたようなわけで、ふとんも箪笥《たんす》も、私が本郷の実家から持っ
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