ろう!」ひくく叫んだ。「不思議ですねえ。ごらんなさいよ。いまじぶん、かげろうが。」
僕も、縁側に這いつくばって、庭のしめった黒土のうえをすかして見た。はっと気づいた。まだ要件をひとことも言わぬうちに、将棋を指したり、かげろうを捜したりしているおのれの呆け加減に気づいたのである。僕はあわてて坐り直した。
「木下さん。困りますよ。」そう言って、例の熨斗袋《のしぶくろ》を懐《ふところ》から出したのである。「これは、いただけません。」
青扇はなぜかぎょっとしたらしく顔つきを変えて立ちあがった。僕も身構えた。
「なにもございませんけれど。」
マダムが縁側へ出て来て僕の顔を覗《のぞ》いた。部屋には電燈がぼんやりともっていたのである。
「そうか。そうか。」青扇は、せかせかした調子でなんども首肯《うなず》きながら、眉をひそめ、何か遠いものを見ているようであった。「それでは、さきにごはんをたべましょう。お話は、それからゆっくりいたしましょうよ。」
僕はこのうえめしのごちそうになど、なりたくなかったのであるが、とにかくこの熨斗袋の始末だけはつけたいと思い、マダムについて部屋へはいった。それがよくな
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