な事を考えているようだ。お前がこれから、いまのその、亭主だか色男だかのところへ引上げて行くにしても、睦子がついているんでは、この後、その男との間に面白くない事が起るかも知れない。お前もまだ若いのだから、これから子供はいくらでも出来るだろう。とにかく睦子は、この家に置いて行ってもらいたい、と言うのだが、あれとしては、いろいろ考えた末の名案のつもりなのだろう。お前のためにも、それが一ばんいいと考えているらしい。
(数枝) 余計なお世話だわ。
(伝兵衛) そうだ。余計なお世話にちがいない。しかし、お前のように、ただもう、あさを馬鹿にして、……。
(数枝)(皆まで聞かず)そんな事、そんな事ないわ。ねえ、お父さん。生みの親より育ての親、と言うでしょう? あたしの生みの母は、あたしが今の睦子よりももっと小さい時になくなって、それからずっといまのお母さんに育てられて来たのですもの、あとでひとから、あれはお前の継母《ままはは》で、弟の栄一とは腹ちがいだなんて聞かされてもあたしは平気だったわ。継母だって何だってあたしのお母さんに違いないのだし、腹ちがいでも栄一はやっぱりあたしと仲のよい弟だし、そんな事はちっともなんにも気にならなかった。だけど、あたしが女学校へ行くようになってから、何だか時々ふっと淋《さび》しく思うようになったの。だって、お母さんは、あんまりよすぎるんだもの。一つも欠点が無いんだもの。あたしがどんなわがままを言っても、また、いけない事をしても、お母さんは一度もお叱《しか》りにならず、いつも笑ってあたしを猫可愛がりに可愛がっていらっしゃる。あんな優しいお母さんてないわよ。優しすぎるわ、よすぎるわ。いつかあたしが、足の親指の爪をはがした時、お母さんは顔を真蒼《まっさお》にして、あたしの指に繃帯《ほうたい》して下さりながら、めそめそお泣きになって、あたし、いやらしいと思ったわ。また、いつだったか、あたしはお母さんに、お母さんはでも本当は、あたしよりも栄一のほうが可愛いのでしょう? ってお聞きしたら、まあ、上手に答えるじゃないの、お母さんはね、その時あたしにこう言ったの。時たまはなあ、だって。あんまり正直らしく、そうして、優しいみたいで、にくらしくなっちゃったわ。栄一にばかり、ひどく難儀な用事を言いつけて、あたしには拭《ふ》き掃除《そうじ》さえろくにさせてくれないのだもの。だからあたしも意地になって、うんと我儘《わがまま》をしようと考えたのよ。思いっきりお行儀を悪くして、いけない事ばかりしてやろうという気になっちゃったのよ。だけど、あたしはお母さんをきらいじゃないのよ。大好きなのよ。好きで好きで武者振りつきたいくらいだったわ。お母さんだって、あたしを芯《しん》から可愛かったらしいのね。あんまり可愛くて、あたしにいつも綺麗《きれい》な着物を着せて置いて、水仕事も何もさせたくなかったらしいのね。それはわかるわ。本当はね、(突然あははと異様に笑う)お母さんとあたしとは同性愛みたいだったのよ。だから、いやらしくって、にくらしくって、そうして、なんだか淋しくて、思いきり我儘して悪い事をして、そうしてお母さんと大喧嘩《おおげんか》をしたくて仕様が無かったの。
(伝兵衛)(顔をしかめて)三十ちかくにもなって、まだそんな馬鹿な事ばかり言っている。も少し、まともな話をしないか。
(数枝)(平然と)お父さんは鈍感だから何もわからないのよ。お父さんみたいなひとを、好人物、というんじゃないかしら。まるでもう無神経なのだから。(語調をかえて)でも、お母さんは昔は綺麗だったなあ。あたし、東京で十年ちかく暮して、いろんな女優やら御令嬢やらを見たけれども、うちのお母さんほど綺麗なひとを見た事が無い。あたしは昔、お母さんと二人でお風呂へはいる時、まあどんなに嬉しかったか、どんなに恥かしかったか、いま思っても胸がどきどきするくらい。
(伝兵衛) おれの前でそんなくだらない話は、するな。それで、どうなんだ? 睦子を置いて行く気か?
(数枝)(呆《あき》れた顔して)ま、お父さんまでそんな馬鹿げた、……。
(伝兵衛) しかし、男があるんだろう?
(数枝)(顔をしかめ、うつむいて)ほかに聞き方が無いの?
(伝兵衛) どんな聞き方をしたって同じじゃないか。(こみ上げて来る怒りを抑《おさ》えている態《てい》で)お前も、しかし、馬鹿な事をしたものだ。そう思わないか。
(数枝)(顔を挙げ、冷然と父の顔を見守り無言)
(伝兵衛) 小さい時から我儘で仕様がなかったけれども、しかし、こんな馬鹿な奴とは思わなかった。お前のためには、あさも、どれだけ苦労して来たかわからないのだ。お前が弘前《ひろさき》の女学校を卒業して、東京の専門学校に行くと言い出した時にも、おれは何としても反対で、気分が悪くなっ
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