玄関のあく音。
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(継母のあさの声) お利口だったねえ、お利口だったねえ。寒くっても、ちっとも泣かなかったんだものねえ。
(睦子の声) そうしてそれから、睦子なんか、うんと役に立ったね?
(あさの声) そうとも、そうとも。おばあちゃんの財布を持ってくれて落さなかったんだものねえ。ずいぶん役に立った。とっても役に立った。
(睦子の声) だからこんども、おつかいに連れて行くのね?
(あさの声) 連れて行くとも、連れて行くとも。さあ、あったしましょう。
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下手《しもて》の障子をあけて、あさ、睦子登場。睦子はすぐ数枝のほうに走って行き、数枝の膝《ひざ》の上に抱かれる。
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(数枝)(あさに向い、笑いながら)重かったでしょう?
(あさ)(買って来た魚のはいっている籠《かご》やら、角巻《かくまき》――津軽地方に於ける外出用の毛布――やらを上手《かみて》の台所のほうに運びながら)ああ、重かったとも何とも、石の地蔵様を背負って歩いてるみたいだったよ。(上手の障子をあけて、台所に降りて障子をしめ、あとは声のみ)このごろはどうして、なかなか悪智慧《わるぢえ》が附いてね、おんりして歩かないかって言えば、急に眠ったふりなんかしてさ、いやな子だよ。
(数枝)(睦子の手に握られてある一束《ひとたば》の線香花火に気附いて)おや、これは何? どうしたの?
(睦子) これは、玩具《おもちゃ》です。
(数枝) 玩具? (笑って)へんな玩具ねえ。おばあちゃんに買っていただいたの?
(睦子)(うなずく)
(あさ)(台所にて何かごとごと仕事をしていながら、やはり障子の蔭から声のみ)いまの子供は可哀《かわい》そうだよ。玩具らしいものを一つも売っていないんだものねえ。日の丸の小さい旗がほしいって睦子が言うんだけれどもね、ひやりとしたよ。そう言われて見ると、あの旗の玩具は、戦争中はどこの小間物屋にでも、必ずあったものなのに、このごろは影を消してしまったようだね。せめて子供にだけでも、あの旗を持たせて遊ばせてやりたいと思うんだけど、やっぱりだめなのかねえ。睦子にそこんところを何と説明してやったらいいか、おばあちゃんも困ってしまった。(ひくく笑う)線香花火だけは、たくさんお店にあってね。どういうわけかしら。どうもこのごろのお店には、季節はずれの妙な品物ばかり並んでいるよ。麦わら帽子だの、蠅《はえ》たたきだの、笑わせるじゃないか、あんなものでも買うひとがあるんだろうねえ。いまどき蠅たたきなんかを買ってどうするのだろう。
(数枝)(笑って)蠅たたきだって、羽子板のかわりくらいにはなるかも知れないわ。こんな線香花火なんかよりは、子供にはいい玩具かもわからない。(睦子の手から線香花火を取っていじりながら)冬の花火なんて、何だか気味《きび》が悪いわねえ。さっき睦子が持っているのをちらと見た時、なぜだか、ぎょっとしたわよ。
(あさ)(やわらかに)だって、他になんにも売ってなかったんだものねえ。いまの子供は、本当に可哀そうだよ。(語調をかえて)あたらしい鱈のようですけど、鱈ちりになさいますか?
(伝兵衛) 酒は、まだあるか。
(あさ)(やはり障子の蔭から)ええ、まだ少しございますでしょう。
(伝兵衛) それじゃ晩は、鱈ちりで一ぱいという事にしようか。
(数枝) あたしも、そうしよう。
(伝兵衛)(抑制を忘れ、ついに大声を発する)馬鹿野郎! どこまでお前は、ふざけやがって、(立ち上りかけ、また腰をおろして)真人間になれ!
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睦子、火のついたように泣き出し、数枝の懐《ふところ》にしがみつく。数枝は、冷然たり。
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(伝兵衛) お前ひとりのために、お前ひとりのために、この家が、お前ひとりのために、どれだけ、(何か呟《つぶや》きながら、泣き出す)
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数枝、睦子を抱いたまま静かに立って、奥の階段のほうへ行く。
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(伝兵衛)(猛然と立ち上って)待て!
(あさ)(台所から走り出て、伝兵衛を抑え)まあ、お父さん、何をなさる。
(伝兵衛) 殴らなくちゃいけねえ。正気にかえるまで殴らなくちゃいけねえ。
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数枝、振り向きもせず、泣き叫ぶ睦子を抱いて、階段をのぼりはじめる。和服の裾《すそ》から白いストッキングをはいているのが見える。
伝兵
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