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(数枝)(あさのほうを見て、机上の書きかけの手紙を畳んでふところにいれ、それから、立ってあさのほうへ行き、あさをゆり起し)お母さん、お母さん。
(あさ) ああ、(と眼ざめて深い溜息《ためいき》をつく)ああ、お前かい。
(数枝) どこか、お苦しい?
(あさ) いいえ、(溜息)何だかいやな、おそろしい夢を見て、……(語調をかえて)睦子は?
(数枝) けさ早く、おじいちゃんに連れられて弘前《ひろさき》へまいりました。
(あさ) 弘前へ? 何しに?
(数枝) あら、ご存じ無かったの? きのう来ていただいたお医者さんは、弘前の鳴海《なるみ》内科の院長さんよ。それでね、お父さんがきょう、鳴海先生のとこへお薬をもらいに行ったの。
(あさ) 睦子がいないと、淋《さび》しい。
(数枝) 静かでかえっていいじゃないの。でも、子供ってずいぶん現金なものねえ。おばあちゃんが御病気になったら、もうちっともおばあちゃんの傍には寄りつかず、こんどはやたらにおじいちゃんにばかり甘えて、へばりついているのだもの。
(あさ) そうじゃないよ。それはね、おじいちゃんが一生懸命に睦子のご機嫌《きげん》をとったから、そうなったのさ。おじいちゃんにして見れば、ここは何としても睦子を傍に引寄せていたいところだろうからね。
(数枝) あら、どうして? (火鉢に炭をついだり、鉄瓶に水をさしたり、あさの掛蒲団《かけぶとん》を直してやったり、いろいろしながら気軽い口調で話相手になってやっている)
(あさ) だって、あたしがいなくなった後でも、睦子がおじいちゃんになついて居れば、お前だって、東京へ帰りにくくなるだろうからねえ。
(数枝)(笑って)まあ、へんな事を言うわ。よしましょう、ばからしい。林檎《りんご》でもむきましょうか。お医者さんはね、何でも食べさえすれば、よくなるとおっしゃっていたわよ。
(あさ)(幽《かす》かに首を振り)食べたくない。なんにもいただきたくない。きのう来たお医者さんは、あたしの病気を、なんと言っていたの?
(数枝)(すこし躊躇《ちゅうちょ》して、それから、はっきりと)胆嚢炎《たんのうえん》、かも知れないって。この病気は、お母さんのように何を食べてもすぐ吐くのでからだが衰弱してしまって、それで危険な事があるけれども、でも、いまに食べものがおなかに
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