たなあ。酔っていやがる。僕にたかる気かも知れない。よそよそしくしてやろう。
「ええっと、どなたでしたっけ。失礼ですが。」
 ことに依《よ》ると、たかられるかも知れない。
「いつか、クレヨン社に原稿を持ち込んで、あなたに荷風《かふう》の猿真似《さるまね》だと言われて引下った男ですよ。お忘れですか?」
 脅迫するんじゃねえだろうな。僕は、猿真似とは言わなかった筈《はず》だが。エピゴーネン、いや、イミテーションと言ったかしら。とにかく僕は、あの原稿は一枚も読んでいなかった。題が、いけなかったんだよ、ええっと、何だったっけな、「或《あ》る踊子の問わず語り」こっちが狼狽《ろうばい》して赤面したね。馬鹿な奴もあったものだ。
「思い出しました。」
 いんぎん鄭重《ていちょう》に取り扱うに限る。何せ、相手は馬鹿なんだからな。殴《なぐ》られちゃ、つまらない。でも、弱そうだ。こいつには、勝てると思うが、しかし、人は見かけに依らぬ事もあるから、用心に如《し》くはない。
「題をかえましたよ。」
 ぎょっとするわい。よくそこに気が附いたね。まんざら馬鹿でもないらしい。
「そうですか。そのほうが、いいかも知れませんですね。」
 興味無し。興味無し。
「男女合戦、と直しました。」
「男女合戦、……」
 二の句がつげない。馬鹿野郎。ものには程度があるぜ。シラミみたいな奴だ。傍へ寄るな、けがれる。これだから、文学青年は、いやさ。
「売れましてね。」
「え?」
「売れたんですよ、あの原稿が。」
 奇蹟《きせき》以上だ。新人の出現か。気味が悪くなって来た。こんな、ヒョットコの鼻つまりみたいな顔をしていても、案外、天才なのかも知れない。慄然《りつぜん》。おどかしやがる。これだから、僕は、文学青年ってものは苦手《にがて》なんだ。とにかくお世辞を言おう。
「題が面白いですものねえ。」
「ええ、時代の好みに合ったというわけなんです。」
 ぶん殴るぜ、こんちきしょう。いい加減にし給《たま》え。神をおそれよ。絶交だ。
「きょうね、原稿料をもらってね、それがね、びっくりするほど、たくさんなんです。さっきから、あちこち飲み歩いても、まだ半分以上も残っているんです。」
 ケチな飲み方をするからだよ。いやな奴だねえ。金があるからって、威張っていやがる。残金三千円とにらんだが、違うか? 待てよ、こいつ、トイレットで、こっそり
前へ 次へ
全8ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
太宰 治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング