笑ひ聲で眼を覺ました。大學生には、附添ひのひともなかつたし、下宿屋ずまひのやうな、のんきな暮しをしてゐるのであつた。笑ひ聲はきのふの新患者の室からなのだと氣づいて、その蒼黒い顏をあからめた。笑ひ聲を不謹愼とも思はなかつた。恢復期の患者に特有の寛大な心から、むしろ葉藏の元氣のよいらしいのに安心したのである。
僕は三流作家でないだらうか。どうやら、うつとりしすぎたやうである。パノラマ式などと柄でもないことを企て、たうとうこんなにやにさがつた。いや、待ち給へ。こんな失敗もあらうかと、まへもつて用意してゐた言葉がある。美しい感情を以て、人は、惡い文學を作る。つまり僕の、こんなにうつとりしすぎたのも、僕の心がそれだけ惡魔的でないからである。ああ、この言葉を考へ出した男にさいはひあれ。なんといふ重寶な言葉であらう。けれども作家は、一生涯のうちにたつたいちどしかこの言葉を使はれぬ。どうもさうらしい。いちどは、愛嬌である。もし君が、二度三度とくりかへして、この言葉を楯にとるなら、どうやら君はみじめなことになるらしい。
「失敗したよ。」
ベツドの傍のソフアに飛騨と並んで坐つてゐた小菅は、さう言ひ
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