瞞。病毒。ごたごたと彼の胸をゆすぶつた。言つてしまはうかと思つた。わざとしよげかへつて呟いた。
「ほんたうは、僕にも判らないのだよ。なにもかも原因のやうな氣がして。」
「判る。判る。」小菅は葉藏の言葉の終らぬさきから首肯いた。「そんなこともあるな。君、看護婦がゐないよ。氣をきかせたのかしら。」
 僕はまへにも言ひかけて置いたが、彼等の議論は、お互ひの思想を交換するよりは、その場の調子を居心地よくととのふるためになされる。なにひとつ眞實を言はぬ。けれども、しばらく聞いてゐるうちには、思はぬ拾ひものをすることがある。彼等の氣取つた言葉のなかに、ときどきびつくりするほど素直なひびきの感ぜられることがある。不用意にもらす言葉こそ、ほんたうらしいものをふくんでゐるのだ。葉藏はいま、なにもかも、と呟いたのであるが、これこそ彼がうつかり吐いてしまつた本音ではなからうか。彼等のこころのなかには、渾沌と、それから、わけのわからぬ反撥とだけがある。或ひは、自尊心だけ、と言つてよいかも知れぬ。しかも細くとぎすまされた自尊心である。どのやうな微風にでもふるへをののく。侮辱を受けたと思ひこむやいなや、死なん哉ともだえる。葉藏がおのれの自殺の原因をたづねられて當惑するのも無理がないのである。――なにもかもである。

 その日のひるすぎ、葉藏の兄が青松園についた。兄は、葉藏に似てないで、立派にふとつてゐた。袴をはいてゐた。
 院長に案内され、葉藏の病室のまへまで來たとき、部屋のなかの陽氣な笑ひ聲を聞いた。兄は知らぬふりをしてゐた。
「ここですか?」
「ええ。もう御元氣です。」院長は、さう答へながらドアを開けた。
 小菅がおどろいて、ベツドから飛びおりた。葉藏のかはりに寢てゐたのである。葉藏と飛騨とは、ソフアに並んで腰かけて、トランプをしてゐたのであつたが、ふたりともいそいで立ちあがつた。眞野は、ベツドの枕元の椅子に坐つて編物をしてゐたが、これも、間がわるさうにもぢもぢと編物の道具をしまひかけた。
「お友だちが來て下さいましたので、賑やかです。」院長はふりかへつて兄へさう囁きつつ、葉藏の傍へあゆみ寄つた。「もう、いいですね。」
「ええ。」さう答へて、葉藏は急にみじめな思ひをした。
 院長の眼は、眼鏡の奧で笑つてゐた。
「どうです。サナトリアム生活でもしませんか。」
 葉藏は、はじめて罪人のひけ目を
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