夏までには、この朝顔の模様のゆかたを臆《おく》することなく着て歩ける身分になっていたい、縁日の人ごみの中を薄化粧して歩いてみたい、そのときのよろこびを思うと、いまから、もう胸がときめきいたします。
 盗みをいたしました。それにちがいはございませぬ。いいことをしたとは思いませぬ。けれども、――いいえ、はじめから申しあげます。私は、神様にむかって申しあげるのだ、私は、人を頼らない、私の話を信じられる人は、信じるがいい。
 私は、まずしい下駄屋《げたや》の、それも一人娘でございます。ゆうべ、お台所に坐《すわ》って、ねぎを切っていたら、うらの原っぱで、ねえちゃん! と泣きかけて呼ぶ子供の声があわれに聞えて来ましたが、私は、ふっと手を休めて考えました。私にも、あんなに慕って泣いて呼びかけて呉れる弟か妹があったならば、こんな侘《わび》しい身の上にならなくてよかったのかも知れない、と思われて、ねぎの匂《にお》いの沁《し》みる眼に、熱い涙が湧《わ》いて出て、手の甲で涙を拭《ふ》いたら、いっそうねぎの匂いに刺され、あとからあとから涙が出て来て、どうしていいかわからなくなってしまいました。
 あの、わがま
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