を一生懸命いたわって来たんじゃないか。いやです、いやです、私を牢へいれては、いけません。私は牢へいれられるわけはない。二十四年間、努めに努めて、そうしてたった一晩、ふっと間違って手を動かしたからって、それだけのことで、二十四年間、いいえ、私の一生をめちゃめちゃにするのは、いけないことです。まちがっています。私には、不思議でなりません。一生のうち、たったいちど、思わず右手が一尺うごいたからって、それが手癖の悪い証拠になるのでしょうか。あんまりです、あんまりです。たったいちど、ほんの二、三分の事件じゃないか。私は、まだ若いのです。これからの命です。私はいままでと同じようにつらい貧乏ぐらしを辛抱して生きて行くのです。それだけのことなんだ。私は、なんにも変っていやしない。きのうのままの、さき子です。海水着ひとつで、大丸さんに、どんな迷惑がかかるのか。人をだまして千円二千円としぼりとっても、いいえ、一身代つぶしてやって、それで、みんなにほめられている人さえあるじゃございませんか。牢はいったい誰のためにあるのです。お金のない人ばかり牢へいれられています。あの人たちは、きっと他人をだますことの出来ない弱い正直な性質なんだ。人をだましていい生活をするほど悪がしこくないから、だんだん追いつめられて、あんなばかげたことをして、二円、三円を強奪して、そうして五年も十年も牢へはいっていなければいけない、はははは、おかしい、おかしい、なんてこった、ああ、ばかばかしいのねえ。
 私は、きっと狂っていたのでしょう。それにちがいございませぬ。おまわりさんは、蒼《あお》い顔をして、じっと私を見つめていました。私は、ふっとそのおまわりさんを好きに思いました。泣きながら、それでも無理して微笑《ほほえ》んで見せました。どうやら私は、精神病者のあつかいを受けたようでございます。おまわりさんは、はれものにさわるように、大事に私を警察署へ連れていって下さいました。その夜は、留置場にとめられ、朝になって、父が迎えに来て呉れて、私は、家へかえしてもらいました。父は家へ帰る途中、なぐられやしなかったか、と一言そっと私にたずねたきりで、他にはなんにも言いませんでした。
 その日の夕刊を見て、私は顔を、耳まで赤くしました。私のことが出ていたのでございます。万引にも三分の理、変質の左翼少女|滔々《とうとう》と美辞麗句、とい
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